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■原水爆禁止2007年世界大会が広島(5〜6日)と長崎(7〜9日)でおこなわれました。7日夜の「核兵器なくそう・世界青年のつどい07inナガサキ」には2000人の青年が参加。被爆者の願いを受け継ぎ、平和な世界をつくるにはどうすればいいか、みんなが真剣に考えました。 参加者たちの声、思い 核兵器のひどさ はじめて知った ■「世界中の人が『核兵器をなくそう』の思いで一つになっているのがすごいって思った」──世界大会にはじめて参加した藤原結花さん(愛媛、大学3年)の感想です。開会総会で、核兵器廃絶をめざす草の根運動が世界中で発展していることや、日本でも原爆症認定を政府にもとめるたたかいが勝利していると知って、こう感じたといいます。参加する前は、「原爆のことは授業で聞いて知っていたけど、原爆がどんなものなのかピンとこなかった」という藤原さん。「何があったのか知りたい」と、世界大会に参加しました。 藤原さんは「自分の目で感じられるものはすべて見たい」と原爆資料館にも足をはこびました。「原爆投下直後の爆心地の写真…、本当に何もかもなくなっていた。爆心地から遠く離れた場所でも、建物や木、人間がどれだけ傷つけられるかという記録がたくさんあった。はじめて原爆投下のひどさを感じられた」。そして、資料を見るなかで広島・長崎への原爆投下が、アメリカの核戦略のもとでの「実験」だったことも知りました。「そんな『実験』のために、多くの人が苦しんできたかと思うとやりきれない。その苦しみを原爆症として認めず、補償しない政府の姿勢も納得できない」と藤原さん。「今回知ったことで終わりにせず、これからも学んでいきたい」 被爆の実相 多くの青年に伝えたい ■世界大会に3度目の参加となる領家由希さん(長崎、大学5年)は、「友だちや地元の青年に、原爆や世界大会のことを知らせたいと思えた」と今回の世界大会への参加をふりかえります。長崎で開催される世界大会への参加ははじめて。進学のために東京から長崎にきた領家さんは、「通っている大学のキャンパスが被爆していて、慰霊碑もある。だから、原爆のことは長崎では『常識』で、話しにくい」と思っていました。でも、「長崎で起こったことを知りたい」と今回の世界大会に多くの青年が集まった姿を見て、「自分のいる場所は日本の特別な場所なんだ。長崎にいる自分自身も、被爆の実相を知らせていかなければ」と思いました。 最近、友だちと原爆について話しあう機会があった領家さん。長崎の友人からいわれた「あの日のことを、もっと知りたい」という言葉におどろきました。「『長崎にいれば原爆は常識』と壁をつくっていたのは自分かもしれない。長崎の人も、62年前に長崎で何があったのか知りたいと思っていると感じました」 「継承から発信へ」――領家さんは「核兵器のない平和な世界をつくるためには、被爆者の声を受けとめながら、より多くの人と連帯するのが大事だし、それはできると思った。今度の世界大会では、もっと多くの長崎の青年といっしょに来たい」と話します。 自分らしさ生かして 「核兵器あかん」発信したい
■「約3週間で2千羽の折り鶴が集まりました」と兵庫・「若者9条の会〜たけのこ〜」のメンバー。集めた折り鶴を森梨絵さん(大学1年、写真右から2人目)のデザインでアートにしました。「私たちらしさを出そうと、育った場所の姫路、私たちを象徴するたけのこ、そこから発信される9(憲法9条)をデザインにしました。そこに『原爆なくせ』の思いをこめた折り鶴を、貼り絵のようにちりばめた」と森さん。「これだけの仲間が全国各地にいるってことですよね。小さなことかもしれないけど、一人ひとりにしかできない大事な発信方法だと思います」 被爆者の話をしっかりと心に刻んで――青年の分科会
■「8日には、「被爆者の話を聞こう」と500人の青年が小グループに分かれ、40人の被爆者のもとを訪れました。話を聞いた青年たちに同行しました。 「被爆は恥」を思わされた日々――松本ヨシエさん(79歳) ■「わたしは郵便局に行った帰りに被爆しました。警戒警報が解除されていたので、外に出ているときでした。私は爆心地から約3キロの思案橋付近にいたので、被害は少なかったのですが、中心地は全滅でした。姉をたずねて町をさがしました。靴が上ばきのような薄さのため、歩くたびに足が焼け、水たまりにつけては歩きました。道ばたには、人間だけでなく馬や牛が死体となってころがっていました。どういう道のりだったかは覚えていないほど、進むので精一杯でした。やっとの思いで、講堂で姉を探しだしました。そこには、『水を下さい』『ウジをとって下さい』という人であふれかえっていました。姉も弱っていきました。ある日姉は突然立ち上がり、『天皇陛下バンザーイ』といって倒れ、亡くなりました。亡くなったあとも、一晩いっしょに過ごしました。本当にみじめな思いでした。17歳のときに姉を焼かなければならなかった。8月になるとそのことを思いだしてしまいます。お別れのときには『ごめんね、あんた不幸やったね』と思いました。不幸だったのは姉だけではありません。ゴミを運ぶトロッコにのせられて、焼かれ、無縁仏になる人もたくさんいました。私も被爆者として生きてきましたが、当時、被爆したことを『恥』とする風潮があったため、20年近く原爆手帳も申請できませんでした。思い出したくないことばかりです。きょうのお話も、はじめは断るつもりでした。でも、私のような苦しい体験をしないでほしい。命を大事にしてほしいと思い、引き受けました。平和な国をつくっていって下さい」 「今度はぼくたちがうごく番」――参加した青年たち
■「松本さんの話を受けて、あらためて原爆の怖さと被爆者の苦しみをかみしめました。「想像以上にすごいつらい経験だったんですね」ときりだしたのは黒?菜々子さん(北海道、23歳、看護師)。「原爆から生き残ったあとの差別や、補償がなくたよる人もいない不安、わけもわからないままに自分の体がむしばまれる日々の怖さを感じました。松本さんは『あのとき死ねばよかったんじゃないか』というくらい、人生や心に傷をおってしまった。それでもがんばって生きてくれて、いまもつらい思いをかかえながら、私たちに話をしてくれた。きょうの話をしっかりと心に刻みたい」 「原爆は、人が人として持っている可能性をすべてうばってしまうと感じた」という日渡あゆみさん(高知、22歳、資料館事務局員)は、「松本さんは『被爆は恥だった』といっていたけど、原爆のせいで、好きな人と結婚できなかったり、親類から冷たい目で見られたり。それにいまも原爆症認定のことで苦労している。被爆者の苦しみはまだ終わってない」と力を込めます。 参加者みんなが核兵器のむごさ、平和を守ることの大切さを交流し深めました。「憲法9条のことを考えた」という神屋高志さん(和歌山、専門学校1年)は、「原爆や戦争による苦しみを忘れてはダメというのが9条だと思った。来年は友だちを連れて来たい。今度は被爆者の話を聞いたぼくたちが、うごいていく番だと思うから」 世界青年のつどい 全国から50万羽の折り鶴
■原爆で亡くなった21万の人びとに思いをはせようと、21万羽の折り鶴を集めることをめざした「折り鶴プロジェクト」。当初の目標を超え、全国から50万羽以上の折り鶴が集まりました。「世界青年のつどい」では、集めた折り鶴を会場にかざりつけるセレモニーをおこない会場につるしました(写真上)。8日には集めた折り鶴をはりつけて横断幕をつくりました(写真下)。
何度「殺してくれ」とさけんだことか――谷口稜曄(すみてる)さん(78歳)の被爆証言
■16歳のとき、爆心地から2キロほど離れたところで、郵便配達をしている途中に被爆しました。熱線で背中を焼かれ、地面にたたきつけられました。ふきとばされたとき、「このまま死ぬのかも」と思いましたが、「このまま死んでなるものか」と自分を励まし、生きようと思いました。気づくと近くにいたはずの子どもたちは消えていました。被爆した背中はひどいヤケドにもかかわらず、血は出ず、痛みもありませんでした。 救出されたのは、被爆してから3日目でした。入院してからも、背中の傷はふさがらず、うつぶせのまま日々を過ごしていました。ここに当時の私の写真があります。被爆して半年たったときのものです。赤くただれています。いかに深い傷であったか、おわかりいただけるかと思います。「これではふつうに生きていくことができない」と思い、何度「殺してくれ!」と叫んだことか…。 核兵器と人類は共存できないということは、原爆によって傷つけられた人たちの歴史がしめしています。それを忘れてしまえば、また同じことのくり返しです。一部の国ぐにが固執する核保有への欲望や、日本の久間前防衛相の原爆投下「しょうがない」発言など、核兵器の恐ろしさを無視するようなうごきを許してはいけません。 私たち被爆者に残された時間は多くありません。私たちが生きているあいだに核兵器がなくなり、また私たちが「最後の被爆者」になるよう、若いみなさんにがんばってほしいと思います。 海外代表の発言 ■世界青年のつどいでは、韓国、ノルウェー、中国、アメリカ、フランスの青年が、平和への思いや反核運動のとりくみなどを発言。一部を紹介します。
おたがいを知り、議論しよう――中国人民平和軍縮協会 シェン・ファンさん ■爆心地に立ち、この悲惨な歴史に思いをはせることは、私にとって初めてでした。歴史をしのぶことは、歴史を鏡としてとらえ、同じあやまちを二度とくりかえさないことです。 平和と発展のためには、まず集まっておたがいを知り、何ができるか議論することが大切です。私は日本人がとても悪い人びとだと思っていました。中国を侵略しその歴史を否定したからです。しかし日本を訪問し、それがまちがいだと気づきました。多くの日本人がその歴史を理解し、平和運動に参加しているからです。歴史の教訓から学ぶことは、地域的・世界的な平和と発展を守る責任を引き受けるということです。平和と繁栄の未来のために、団結し、力をつくしましょう。
解体による核廃絶を確実なものに――ノルウェー核戦争防止医師の会 トリビョルン・フーゴさん ■60年前、世界は長い戦争の荒廃から立ち上がり、おぞましい過去の出来事をふり返りつつも、共通の未来がきずかれました。しかし、過去の亡霊がまだうろついています。それは生きとし生けるものを全滅させ、想像を絶する破壊をもたらすだけの目的でつくられた怪物です。これらの怪物はまだ、地球上のすべての生命だけでなく、将来の世代の人びとや、人類全体にたいする脅威となっています。解体し、葬り去り、1945年8月のあの日のような仕業をふたたびさせないよう、あらゆる手段を使ってやっつけなければなりません。 私たちはずいぶん前進しましたが、まだ道の途中です。ともに前進しともにがんばりましょう! 全国高校生平和集会 など
私たちの行動が未来につながる――平和の思い、成長を実感 ■「折り鶴を集め、長崎で亡くなった7万人の重さを感じました」(東京)、「街で対話してみんな平和をのぞんでるんやと実感しました」(京都)──平和の思い、多彩な活動があふれるように出てきます。「きょう平和への関心がすごくひろがった」「この感動を友だちにも伝えたい」──各地の1年間の活動報告に、驚いたり笑ったり、会場に集まった270人が元気づけられました。 「去年の集会でみんなの熱い思いに圧倒されて、もっといろんなことをしたいと思いました」と報告したのは静岡のメンバー。3月には靖国神社ツアーをするなど、活動のひろがりを紹介しました。「靖国では、意図的につくられた『歴史』が堂々と語られているのを見て驚きました。しっかりと真実を知っていくことが大切だと思った」。長崎にむけた折り鶴宣伝にもチャレンジしました。とりくみを通じて多くの人の平和への思いを感じ取り、「二度とヒロシマ・ナガサキの悲劇をくり返してはいけない。そのために9条をかえてはいけないという気持ちが高まりました!」と発言しました。 全国の活動交流 京都
きょうは9人で来ました。7月から「折り鶴プロジェクト」にとりくみました。憲法9条にちなんで目標は9999羽。きょうここにある折り鶴は全部で1万3815羽!目標をめっちゃ上回ってみんなもびっくりでした。観光名所の清水寺で韓国やアメリカの人にも折ってもらいました。同じ学校の2人で200羽を目標に友だちに声をかけたら、どんどん輪が広がって、1500羽集まって非常にうれしかったです。 埼玉 きょうは11人で来ています。去年の冬から、憲法改正の問題について学びたいという声をもとに、憲法学習をすすめてきました。1条から103条まですべて教えてもらい、自分たちにとって大事な義務や権利が書かれている憲法を、みんなが知らないうちにかえられるのはとても怖いと思いました。成立の歴史について学んで、憲法は当時の日本人が未来に希望をもって選んだものだと思いました。 山口 山口から来ました!毎年ハイスクールフォーラムというのを開いています。300人近い人が来て「学校は行かないといけないのか」「友だちの必要性」などふだん思っている意見を出しあいました。年1回のフィールドワークでは徳山湾沖にある人間魚雷「回天」基地跡を見学しました。 愛知
中高生19人で来ました。半分の人が初参加です。長崎ツアーの前に名古屋市内の戦跡をめぐるフィールドワークをして学びました。出発前には長崎で被爆された方の話を聞いて、原爆のむごさを再認識しました。このメッセージ旗は、街頭で道行く人に「あなたにとって平和ってなんですか?」とひと言ずつ書いてもらったものです。これからも平和についてがんばっていきましょー! 大阪 私たちはたこやきからピースです。たこピーでは昨年、「教育基本法をかえんといて」と、文科省にメッセージをもって話しに行きました。さらに府の教育委員会にも「授業料を下げて」など要望しに行きました。「折り鶴プロジェクト」では1万9458羽を目標に、約6千羽を集めることができました。3月21日にはイラクの現状を学んでピースキャンドルをつくりました。 東京 東京では、「折り鶴プロジェクト」を、長崎で亡くなった7万人を思って7万羽を集めようとはじめました。ブログを開設したりしました。まだ把握できてないのですが3万羽以上集まりました!目標には届かなかったけどそれほど7万という数が大きいと感じました。長崎とか広島で亡くなった人のことを考えながら、一生懸命友だちに「折って」とよびかけると、クラスのほとんどの子が折ってくれました。友だちにもありがとうといいたいです。 福岡
みなさんこんにちは。今回私たちは折り鶴を折ってこの「PEACE」をつくってきました。集会に来る前には戦争体験者の話を聞きました。頭で戦争がダメだとわかってても口に出していえなくなる日本にしてはだめだと思います。これからMr.Childrenの「and I love you」を歌います。歌の「愛」の部分を平和のことだと思って歌ってください。 広島
平和ゼミナールです。きょうは16人で来ました。2001年につくられた「世界のこどもの平和像(せこへい)」のメッセージを発信するために毎年「美術館」を開催しています。この巨大凧を作成して、平和の風で舞い上がっているように展示しました。5月3日の憲法集会でミュージカルに参加しました。憲法を身近に感じ、9条だけでなく25条の大切さを実感しました。 原水爆禁止2007年世界大会国際会議宣言
原水爆禁止2007年世界大会国際会議は8月3日から5日まで広島で、20カ国以上から250人が参加して開催された。我々は世界のすべての人々に、核兵器のない平和で公正な世界を築くため、ともに行動するよう呼びかける。 核兵器の廃絶はいま世界の声となり、圧倒的多数の政府もその実現を求めている。 しかし、世界には現在なお2万7千発近くの核兵器が蓄積、配備され、多数の弾頭が即時発射態勢に置かれている。ヒロシマ・ナガサキの悲劇が示すように、核兵器の使用は人道に対する犯罪であり、人類は核兵器と共存できない。核兵器の廃絶は人類の生存にかかわる最重要課題である。 テロや大量破壊兵器拡散の脅威を理由に先制攻撃政策を強行してきた米国は、いま世界からも米国内からもきびしい批判にさらされ、孤立を深めている。 しかしなお米国は、イラクやアフガニスタンでの戦闘を継続し、おびただしい犠牲を生みつづけており、外国軍隊の撤退が緊急課題となっている。さらに、「核、非核の双方を含むあらゆる種類の軍事力」による威嚇と行使を公然と追求し、新たな核弾頭の開発や既存兵器の改良を進めている。先制攻撃戦略を補完する「ミサイル防衛」網配備や軍事基地網の再編・強化を世界的に推進し、ひきつづき平和への重大な脅威となっている。 核兵器によって安全や平和をまもるという政策の欺瞞と破綻は明白である。新たな核保有国の出現は、いかなる理由であろうと認めることはできない。同時に、かつて核保有国で外交や軍事の中枢にいた人々も指摘するように、大国が核兵器に固執しつづけることが核拡散の要因ともなっている。核超大国は率先して核軍縮にとりくまなければならない。拡散問題の根本的な解決の道もまた、核兵器の全面的禁止にある。 2000年の核不拡散条約(NPT)再検討会議で核保有国も合意した、核兵器廃絶の「明確な約束」の実行が、いま強く求められている。思想、信条、立場をこえて、市民社会と諸国政府をふくめ国際社会が共同して力をつくさなければならない。我々は、次回2010年のNPT再検討会議にむけて、すべての国の政府がすみやかな核兵器廃絶のための積極的行動を決意し、とりわけ核保有国が廃絶に踏み出すことを決断し、国連総会で核兵器全面禁止条約の協議開始を決議するよう強く提唱する。 我々は核保有国政府に対して、核による威嚇と核使用計画の放棄、即時発射態勢の解除、非核保有国への安全の保障と、核兵器開発計画や新たな核装備への更新、「ミサイル防衛」網配備の中止を要求する。 北朝鮮の核開発問題の平和解決と朝鮮半島非核化、NPT再検討会議で合意された中東非核地帯の実現など、これまでの合意の誠実な推進をすべての当事者に要求する。 世界の軍事費はこの間、1兆2千億ドルをこえ、国連ミレニアム開発目標をはじめ、貧困と欠乏、地球環境問題など世界的課題の解決を困難なものにしている。大幅な軍縮に取り組むことはすべての政府、とりわけ世界の軍事費の大半を占めている核大国の重要な義務である。世界で唯一、核戦争の惨禍を体験し、戦争放棄の憲法を持つ日本は、国際政治の場で核兵器廃絶のイニシアチブを発揮し、「非核三原則」を厳格に実行することが強く期待されている。これに反し、「核の傘」への依存や核保有国議論、原爆投下の容認や過去の侵略戦争の正当化、在日米軍基地の再編・強化、さらには憲法改定などの動きがおきていることを、我々は深く懸念する。 これらに反対する日本国民の力強いたたかいが進んでいる。我々は、「非核日本宣言」の運動を心から支持するとともに、憲法九条をまもり、非核・平和の日本をめざす運動に連帯を表明する。 世界の声となった「ヒロシマ・ナガサキをくりかえすな!」という被爆者のねがいを、世界のすべての国でさらにひろげ、草の根の運動、市民社会と政府の連帯した力で国際政治を大きく動かそう。第62回国連総会、2008年のNPT再検討会議準備委員会、7月の主要8カ国首脳会議(G8サミット)などさまざまな機会をいかし、行動を強めよう。 そのために「すみやかな核兵器の廃絶のために」の署名をはじめ、世界各地で原爆展や核被害展、被爆体験の聞き取り・継承・発信、平和行進など多様な運動をすすめよう。反戦平和、主権、軍事基地撤去、公正な社会をもとめる多様な運動との連帯をさらにひろげよう。 核兵器のない平和で公正な世界の実現は可能である。未来をになう若い世代とともに、いまこそ行動に立ちあがろう。 ノーモア・ヒロシマ! ノーモア・ナガサキ! ノーモア・ヒバクシャ! 2007年8月5日 原水爆禁止2007年世界大会国際会議 |
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(C)日本民主青年同盟 |
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