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学習のページ ■「従軍慰安婦」の「強制はなかった」という安倍晋三首相の発言をはじめ、歴史の真実をゆがめ、侵略戦争を美化する発言があいついでいます。なぜこのような状況がつづくのでしょうか。日本共産党元参議院議員の吉岡吉典さんに聞きました(「民主青年新聞」2007年8月6日付〜9月3日付に連載)。
■ 第1回 「冷戦」のなかで復活した「戦犯政治」 ■ ■世界の多くの国に裁かれた東京裁判 私たちがいま、かつての戦争をふり返って、侵略戦争を美化、肯定する流れのいい分をどうとらえるか、という場合、その前提として、考えたいことがあります。 いま「靖国」派をはじめ、侵略戦争を美化する人びとは、「勝者」「敗者」という関係でとらえ、日本の侵略戦争を裁いた東京裁判は「勝者による敗者への裁き」といっていることについてです。戦争ですから、その結果として勝者、敗者はありますが、この議論では、勝者とはアメリカを中心とする特定国、敗者とは日独だとして、特定の国が日本を裁いたような印象をあたえてしまいます。 しかし、第二次世界大戦は、双方からの帝国主義戦争だった第一次世界大戦とちがい、世界を相手に侵略戦争を開始した日独伊などファシズム、軍国主義とファシズムを一掃しようとするほとんどすべての世界の国との戦争でした。日本の国際法上の「交戦関係国」は、51カ国にのぼりました。勝者は世界大部分の国です。講和会議には51カ国が参加し、東京裁判を取り入れた講和条約に49カ国が調印し、日本はそれを受け入れました。日本は、特定の勝者ではなく、いわば世界に裁かれたのです。 ■平和の流れに逆らってはじめた侵略戦争 あわせて、第二次世界大戦における勝者、敗者の関係を考える場合、第一次世界大戦における勝者、敗者の関係とは基本的にちがう点があることです。 重要なことは第一次世界大戦後、世界は戦争を違法とする時代に入ったことです。第一次世界大戦の結果、たいへんな犠牲者がうまれ、甚大な被害のもとで各国が荒廃しました。同時に、ロシア革命が起こり、ロシア革命の影響をうけた世界諸国民の運動がわきおこります。そのなかで資本主義を存続させるには、平和、軍縮の方向にすすまなければなりませんでした。こうして国際連盟や国際労働機関(ILO)が設立されたのです。 国際連盟では毎回の会議で、“戦争は違法であり、犯罪である”とする決議があげられ、1928年には「不戦条約」がむすばれて「戦争は違法である」と明記されました。こうした流れのなかで世界は、平和の保障として軍事ブロックはつくらない、また平和の基礎として労働者の生活条件の改善と権利を保障する方向に大きくかわっていったのです。あわせて、その国の進路はその国の国民が決める民族自決権が定着しはじめます。各国の主権を尊重しなければならなくなったのです。 しかし、日本の天皇制政府はこれらをふみにじって、中国、アジアさらに世界との戦争という方向にむかっていったわけです。日本は、第一次大戦後にみずからも参加した条約に反してファシズム、軍国主義の侵略戦争をおこない、その結果として裁かれたのです。 ■歴史的に決着のついた問題 日本がおこなった戦争は、侵略戦争です。このことはすでに、東京裁判によって歴史的に決着のついた問題です。判決には、“侵略戦争の定義がどんなに困難であろうと、日本がおこなった戦争が侵略戦争であったということは、議論の余地なく明白だ”と書いてあるわけです。この判決を受け入れて、日本はサンフランシスコ講和条約をむすび、国際社会に復帰したのです。 また、アジア太平洋戦争について、「自衛のための戦争だった」という議論があります。自衛戦争とは、他国からの武力的な攻撃にたいして主権と領土を守る戦争です。どこからも攻撃されない日本が戦争を開始したわけですから本来、自衛論がなりたつ余地はありません。では、どうやって自衛論がなりたつのか。これは明治・大正の軍人政治家、山縣有朋の有名な自衛論で、“自衛とは「主権線」つまり自国を守ることと同時に、日本の「利益線」つまり勢力圏を守ることの二つあり”としたのです。つまり「韓国併合」前は、対馬までが「主権線」であり、朝鮮半島を守ることは日本の利益を守る「利益線」となるわけです。これが「韓国併合」後、朝鮮半島までが自国を守る「主権線」で、満蒙が日本の「利益線」となる。これは「自衛」をいいながら、その内容は他国侵略の理論そのものだったのです。こうした戦争が「自衛のため」ではないことは明白です。 ■ソ連陣営への対抗から戦犯勢力を復帰させる 世界の多数の国が日本を裁いたにもかかわらず、それが守られない戦後になったのはなぜでしょうか。 第二次世界大戦では、連合国は結束が保たれていました。しかし大戦後、米ソの対決が激しくなり、二つの大きな軍事ブロックによる対抗がはじまります。その「冷戦」のなかで、日本を単独占領していたアメリカは、それまで連合国の方針にそってすすめた民主化措置を転換し、日本をソ連を中心とする陣営に対抗する拠点に固めようとしたのです。このねらいのもとにアメリカは、日本の戦犯勢力の責任追及を停止し、後に釈放して、市民権をあたえ、日本の政治の中枢にすわらせます。この結果、戦犯勢力は日本の政界に復帰した後に、A級戦犯容疑者だった岸信介が総理大臣に、A級戦犯として有罪判決をうけた賀屋興宣が法相に、同じく重光葵が外相になりました。 このもとで日本の戦犯勢力は、自分たちの名誉回復のためにうごきだします。彼らは、講和条約の締結を待って、国会で10回もの戦犯釈放決議をあげ、国会壇上で“戦犯は愛国者、犠牲者だった”という演説をくり返したのです。これに反対したのは、日本共産党だけでした。 こうした議論から、やがて「アジア解放の戦争」「対米開戦は、ルーズベルトに責任がある」という議論にエスカレートしていくのです。アメリカ国内にも、こうしたうごきを懸念するむきもあったでしょうが、それ以上に対ソ戦略を優先し、日本の侵略戦争美化には目をつぶったのです。 それが今日、ソ連が崩壊したもとで、アメリカはかつてのような対ソ戦略は必要なくなり、反共のために日本の戦犯勢力を容認し最大限に利用した時代はおわりました。いまやアメリカ国内からも、「靖国史観」にたいする批判がわきおこり、アメリカ下院では「従軍慰安婦」問題の決議がだされています。 「靖国」派はいま、かつての侵略戦争を反省することなく、またこうした世界のうごきに目をむけず、日本を「アメリカと肩をならべて戦争できる国」にしようとしているのです。 (つづく) ■ 第2回 アジア諸国への「反省」とはどういうものか ■ ■侵略を合法化した日韓基本条約 ポツダム宣言を受諾した日本は、すみやかに朝鮮独立を認め、過去の清算をおこなわなければなりませんでした。ポツダム宣言は、日本が侵略した中国をはじめとするアジア各地域の解放、朝鮮の独立などをもとめたカイロ宣言をふくむものだったからです。しかし、米ソはただちに朝鮮独立を認めず、南北に分断して占領したのです。その結果、大韓民国、朝鮮人民民主主義共和国という分断国家になったわけです。 分断国家となった韓国との国交を正常化するために65年、日韓基本条約がむすばれます。しかし、二つの問題がありました。 一つは、対ソ軍事同盟のなかで日韓関係をどう位置づけるかという問題です。条約の交渉は、日韓間の植民地支配をめぐるさまざまな矛盾をかかえながらも、アメリカのコントロールのもとに、「冷戦」下で日韓をいかにアメリカの軍事同盟に組み入れるかの交渉となったことです。 もう一つは、過去の侵略をどうするかという問題です。日本は戦後、かつての戦争を「アジア解放の戦争」として、侵略と植民地支配を認めない立場をとりました。その結果、日韓条約は実際上、過去の侵略を合法化し、正当化する条約になりました。条文では「日韓両国間の不幸な関係の清算」という表現にとどまりました。さらにこの年の国会では、佐藤栄作首相が、朝鮮支配のもととなった韓国併合について、「対等の立場で、また自由意思で締結された条約」と答弁し、居直ったのです。 しかし、韓国併合条約の締結は、2600人もの陸軍部隊を駐留させるなど、軍隊を使って完全に制圧したもとで強行されたものです。これが「対等の立場、自由意思」であったなどといえないのはあきらかです。韓国の学者は、韓国併合を条約にもとづく有効な「植民地支配」ではなく、「強占」と表現し、この時期を「強占時代」とよんでいるほどです。その一方、韓国政府の「主張には、理に合わない点があっても、これを聞き入れる」という方針をとりました。 韓国併合を「対等の立場、自由意思」とした日本の立場は、日韓基本条約の締結から30年をへた95年、村山談話がだされた際にようやく是正されることになるのです。また、北朝鮮とはいまだに国交がむすばれていません。 ■抽象的な反省にとどまる日中共同声明 中国と国交回復した72年の日中共同声明もまた、日韓条約と同じように「日本側は過去において日本側が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」と侵略、植民地支配を認めず、南京大虐殺にもふれない、きわめて抽象的な反省でしかありませんでした。 こうした不十分な内容になったのは、当時、日本との関係を早く正常化し、日本からの「経済協力」を得たいという中国の立場につけこんで侵略の不当性をあいまいにするという、あってはならない態度を日本がとったからです。しかし、過去をしっかり清算せずに関係を改善しても、心の通いあうような関係にならず、その意義は半分も生きなくなるのです。 これはアメリカが、侵略に無反省な態度をしめした日本の姿勢を容認したもとで、アジアとの関係改善をはかっていったからです。 もう一つは、賠償問題があります。アメリカは対日政策を転換したもとで、発達した資本主義国・日本をアジアにおける「反共の防波堤」として再軍備をすすめ、それをささえるために日本の産業の復活に力を注ぎます。そして日本の賠償負担を軽くする方針をとりました。「冷戦」激化のもとで、日本がアジア諸国への賠償によって経済の復活、回復を遅れさせるわけにはいかなかったのです。この結果、賠償でなく経済協力という方針をとりました。そのため、被害者への補償はおこなわれないということになりました。 ■被害への補償ではなく経済協力で こうした経済協力方式の賠償は、アジア諸国にたいしても同じでした。 かつてマレーシア紙の副編集長が、日本で講演した際に、97年のアジア金融危機の際に、日本の協力に感謝を表明したものの、“日本が過去のアジアへの侵略をしっかりと清算しないから、その感謝は、心からの感謝にならないのだ”と話していました。 戦後いち早く経済を立て直し、戦後ふたたび、過去の清算をぬきにした日本が、アジアの強者として経済協力をあたえうる国になったわけです。そして、過去の清算を残したまま、戦後、アジア諸国との関係をつくったわけです。その結果、「感謝はするが、心からの信頼はできない」という関係になったのです。 ■「靖国」派の居直りを許さない世論を その上にいま、「靖国」派はあらたな居直りをはじめています。最近「靖国」派は、弁解するのではなく、「従軍慰安婦」や南京大虐殺などの責任を相手にもとめて、攻撃するという段階にまでエスカレートしていると思います。 「従軍慰安婦」問題では、彼らは元「慰安婦」を「公娼」と同じだとして、“金を稼ぐために従軍慰安婦になったんだ”というキャンペーンをはっています。さらには、“日本から賠償をとるために名乗り出た”とまでいっています。私は赤旗記者をしていた60年代、「従軍慰安婦」問題を取り上げようとしたことがあります。そのとき、朝鮮人の識者から「あなたがた日本人は、朝鮮の女性を慰安婦にして辱め、今度はそれを暴いて、もう一度辱めたいのか」といわれたことがあります。それほど、苦しい立場に立たされた人びとが、“金を稼ぐために名乗り出た”などということは決してないのです。 南京大虐殺でも、「靖国」派はでっち上げ説をふりまき、“逃げる人びとを中国側が狙撃兵を準備して、撃ち殺した”とするものまであります。でっち上げだなんていうことは絶対にありません。南京攻略の指揮をとり、東京裁判でA級戦犯として処刑された松井石根大将の文書のなかに、“強姦、虐殺、日本皇軍の権威を傷つけた”と書いてあるのです。その他にも多くの証拠が残され、その事実はハッキリしています。 いま彼らの主張が、日本の世論として容認されるようなことになれば、アジアはもとより世界からのあらたな孤立のもとになります。このうごきを許さない世論をひろげることがもとめられています。 (つづく) ■ 第3回 なぜ歴史認識問題はつづくのか ■ ■「正しい戦争」と再認識して終戦をむかえた 日本は、なぜかつての戦争を「侵略戦争」と認めないのでしょうか。この問題を考えるとき、日本の終戦、敗戦のあり方から考える必要があると思います。日本はドイツとちがい、戦争をすすめた勢力が終戦の担い手になりました。戦後ドイツは、ナチスが壊滅した後、ナチスになんらかの形で反対した人たちによって政治がすすめられました。そしていまもナチス協力者への追及がつづいています。しかし、日本では天皇制政府のもとで、侵略戦争の推進勢力がポツダム宣言を受諾し、戦争が終わります。昭和天皇がラジオで読み上げた「終戦の詔書」でも、「帝国の自衛と東亜の安定」のための戦争だったとして、戦争目的の正当化を再確認しています。したがって天皇制政府は、アジア太平洋戦争がまちがった戦争ではなく、正しかったという立場に立ち、ポツダム宣言を受諾したのです。しかしそれでは、戦後世界と反します。 日本は本来、みずからの戦争責任、犯罪を認めなければなりませんでした。しかし、日本の戦争指導者はその点をはっきりさせなかったわけです。さらにもっとも戦争責任を負うべき昭和天皇が免罪され、戦争を推進した勢力が否定されずに戦後がはじまりました。 こうした戦後の政治状況のなかで戦争責任を追及し、戦犯勢力の追及をかかげたのは日本共産党だけでした。ドイツと日本との決定的なちがいは、終戦の担い手がだれだったのか、という点にあるのです。これにくわえて「冷戦」激化とともにアメリカが対日政策を転換し、戦犯勢力が擁護されます。 ■国際的な批判が高まるもとで こうしたなかで60年代の半ばから、国民のあいだで日本の戦争責任が問題になりはじめます。そのきっかけは、ベトナム反戦運動や日韓条約反対の運動でした。日本が国際連帯の運動を開始するなかで、過去の反省をぬきにして、真の連帯運動にならないということがありました。同時に、アジアと世界のなかで、日本の立場がつよくなるもとで、日本の過去にたいする国際的な批判がつよまります。 それが80年代初頭、教科書検定で、文部省(当時)が「侵略」を「進出」と書きかえさせた歴史教科書問題などをきっかけに、過去の反省をせざるを得なくなってきました。これ以降も、積極的に反省し「侵略戦争」と認めるものはありませんでしたが、政府は「侵略的事実を否定することはできない」などのいい方をしてきました。こうして、日本が国際的地位を高めるほど、逆に国際的批判もつよまり、過去の反省をぬきに、日本の国際社会での地位もないという状況がつよまるもとで93年、細川首相が記者会見で「侵略戦争だった」と発言したのです。 この発言は、タカ派勢力などからの激しい非難の前に、すぐに「侵略行為」と訂正されます。しかし、この発言をきっかけに、タカ派の人びとはかつての戦争の全面否定にすすみかねないという懸念から、靖国関係の議員連盟の共同、「新しい歴史教科書をつくる会」のとりくみ、自民党による歴史検討委員会の発足と『大東亜戦争の総括』(展転社)の出版など、歴史を歪曲するうごきをつよめます。 ■侵略美化勢力とのせめぎあい このもとで95年、村山談話がだされ、アジア諸国にたいする「植民地支配と侵略」を認め、「痛切な反省」と「心からのお詫び」を表明したのです。戦後さまざまな紆余曲折をへながらも、国家の意思としてだされたものであり、その意味は非常に大きかったわけです。 私はこのとき、前回紹介した韓国併合条約について、村山首相に“この談話は、韓国併合は「自由な意思」「対等な立場」のものだったということも改めるのか”と質問しました。これに村山首相は、「法的に有効に締結され、実施されたもの」と答弁したのです。この答弁は、韓国国会から抗議決議があげられるなど、韓国の世論から厳しい批判にさらされました。その結果、韓国大統領にたいして、「民族の自決と尊厳を認めない帝国主義時代の条約」とする書簡を送り、事実上、当時の力関係を反映した日本の侵略だったと認めたのです。 こうしてゆっくりではあっても、かつての侵略戦争を反省するうごきが進展する一方で、これを食い止めようと意識的に戦争を肯定しようとする勢力がせめぎあうもとで、村山談話にまでいたったのです。 ■日本政府の態度を内外にしめしてこそ しかし、こうした「反省」や「謝罪」がくり返しおこなわれているにもかかわらず、アジアとの歴史認識をめぐる問題は、なぜつづくのでしょうか。 たしかに総理大臣や外相などが、国際会議や各国の国会などの場で、村山談話をふまえて日本政府として「謝罪」を表明しています。しかし、侵略美化発言で辞任した閣僚が、みずからの発言を撤回することなく、その後も同じような発言をつづけるということが何度もありました。さらにいま、日本国内では「アジア解放の戦争だった」とする議論がふりまかれ、「従軍慰安婦」問題や南京大虐殺などについては、弁解どころか被害者に攻撃をくわえるような事態さえうまれています。こうした歴史を歪曲し、侵略戦争を美化する発言やうごきにたいして、日本政府の態度を表明して、反論や批判をしたことはないのです。日本の戦犯勢力を利用してきたアメリカから批判されることもありませんでした。 これでは、諸外国から“日本政府は外では反省をしめすが、その真意はどこにあるのか”という疑問をもたれることは、当然のことだと思います。 とくにいま「従軍慰安婦」問題では、日本軍の関与を認め、謝罪を表明した93年の河野談話について安倍首相は、継承する立場をとりながら「強制性を裏付ける証拠がなかったのは事実だ」と発言しています。この背景には「靖国」派の巻き返しがあります。 そのため歴史認識問題では、“謝罪したから解決済み”とするのではなく、国の内外を問わず日本政府の態度を疑いの余地なく表明し、これに反する発言やうごきについては、政府が、これを批判して日本の公式な態度、立場を表明しつづけることがもとめられています。そのためには、国民的に明確な歴史認識をもつことが必要です。 こうした姿勢があってはじめて、各国が日本の意思がどこにあるのか、を理解すると思うのです。 (つづく) ■第4回 侵略美化を許さない世論づくりを■ ■世界の流れに背く「靖国」派のうごき 前回見たように、かつての戦争をどう見るかをめぐって、二つの勢力が争ってきました。2000年代に入って、侵略を美化する勢力のうごきは、小泉前首相のもとで靖国参拝とあわせて活発になり、黙認され、安倍首相のもとでより意識的に推進されるようになっているのではないか、と思います。 いまや「靖国」派がまるまる政権を握るまでになっています。安倍首相は、「戦後レジームからの脱却」をスローガンに戦後政治の根本転換をはかろうとすらしています。この危険性は、戦後日本の民主主義や平和主義など積極面をアメリカの占領時代の「残滓」、残りカスだとして全面否定し、日米同盟を維持、強化し、戦前の社会を想起させるような憲法改悪までもちだそうとしていることです。先日の参議院選挙の結果は、このうごきにたいする国民からの「ノー」の審判でもあると思います。 同時に、「戦後レジームからの脱却」は世界の流れから見ても根本的な矛盾をかかえています。戦後の世界は大きく変化してきました。その特徴の一つは、ソ連の崩壊で米ソ対決がなくなったことです。しかし、安倍首相は「冷戦」時代と同じ発想で、世界を見ています。ここに大きなちがいがあります。 ■世界でひろがる平和の共同体づくり もう一つは、地域共同体による平和と繁栄という構想です。 この流れはいま世界でもアジアでもひろがっています。戦争が絶えなかったヨーロッパでは、いまやEUが通貨まで統合し、さらに新しい憲法をつくろうとする時代に入っています。これはアフリカ連合(AU)、ラテン・アメリカの南米共同体づくりにもひろがっています。こうした状態のもとでは戦争はおこしようがなくなる方向にむかうでしょう。 アジアではどうでしょうか。アジアは戦後直後、「冷戦」下で米ソ二つの陣営に分裂させられたうえに、「冷戦」にとどまらず朝鮮戦争、ベトナム戦争という熱戦を経験し、アジアの国同士で戦火を交えるということがありました。その教訓も生かして、アジア共同体にむかううねりがつよくなっています。 これらのうごきの根底には、紛争は国連憲章の諸規定にしたがって、武力ではなく外交交渉で平和的に解決するということが、世界共通で合意されています。そのためアセアン(東南アジア諸国連合)の文書でも、「集団的自衛権」という言葉すら出てきません。 こうした時代に、日本が世界とまるでちがった道をすすんで侵略戦争を美化し、憲法を改悪しようということが通用するはずがありません。私たちはいま、アジア・太平洋戦争自体が世界の流れに逆らった結果であり、そこから教訓を学んで憲法をつくった日本がまた、その原点からはなれて、世界から反発を受ける道を歩みつつあることをつかみ、ひろげる必要があると思うのです。そのことが、かつて歩んだ道にふたたびすすませないようにすることになるのです。 ■侵略美化と憲法改悪は切りはなせない 侵略戦争美化と憲法改悪は切っても切りはなせません。戦争への道は、戦争美化とむすびつかなければならないからです。戦争は悪で、侵略戦争だったと反省するなかで反戦・平和の世論がつよまれば、アメリカが日本をアジアと世界の戦争に引きこむこと自体できなくなります。日本国民のあいだに、侵略戦争批判の声、軍事同盟批判の声、反戦・平和の思想がつよまれば、アメリカのために死ぬ国民はいなくなります。 だからアメリカとしては、日本が侵略戦争の反省ばかりされていても困る、「戦争は正しかったんだ」と美談もふくめて語られることによって、アメリカが日本を安保条約、日米同盟にもとづいて使う日本国民を養成する一面もあるわけです。 そのため、アメリカにとっても侵略美化の容認と憲法改悪は、同時にはじまったのです。これがいまあらたな矛盾をつくりだし、一方で、アメリカの下院で「慰安婦」問題で決議が採択され、日本政府に謝罪することなどがもとめられるようになっているのです。 ■理性が勝利する時代をつくってほしい いま堰を切ったようにひろがっている戦争肯定のうごきは軽視できませんが、「南京大虐殺はでっち上げ」「従軍慰安婦は公娼だ」という理屈は、すでに世界では通用しません。事実に反して、正当化しようとすればするほど、この議論の弱さがあらわれざるをえないでしょう。 しかし、これらの議論の背景には、かつて森喜朗元首相が「神の国」発言をして大問題になった、その思想があります。つまり日本は天皇が統治する「神の国」であり、その「神国日本」が侵略戦争をおこない、南京大虐殺や「従軍慰安婦」問題などを起こすはずがないという一種の「信仰」です。この「信仰」をつらぬくためには、事実かどうかに関係なく、すべて否定しなければならないのです。 これらの議論は「信仰」によるものであるため、当事者と議論してその誤りを正すことは、ある意味できないでしょう。南京大虐殺でも、「従軍慰安婦」問題でも、これを裏付ける資料が膨大にあるにもかかわらず、彼らはすべて「根拠がない」といっているわけですから。 そのため大事なことは、これらの事実を認めさせることではなく、こうした人たちが国民のなかから遊離していく状況や世論をつくっていくことが必要だと思うのです。そうしてこそ、侵略美化の流れを根本から絶つことができるのではないかと思います。 若いみなさんには、侵略戦争の事実と戦争を違法化してきた歴史の流れを学び、ひろげることで、理性が勝利する社会、時代をつくっていく先頭にたってほしいと思います。 (おわり) |
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(C)日本民主青年同盟 |
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