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集会での発言 やりがい感じる福祉の仕事を、もっと生きいきがんばりたい 兵庫 城戸聖美
昨年は、学生としてこの集会に参加し、ことしは社会人として参加しています。学生のときは、「早く社会人として働きたい、社会の現状を知っておこう」と思って参加しましたが、深刻な実態もあまり現実味がわかないなぁと思っていました。 ことしから私は介護福祉士として特養ホームで働いてます。勤務形態は早出・日勤・遅出・夜勤の4形態があります。夜勤以外は9時間労働が基本ですが、時間通りに終わることはなかなかありません。夜勤は夕方の4時から翌朝の10時の18時間労働です。夜9時以降は2人で約60人弱のお年寄りを見ています。1時間半の仮眠時間がありますが、雑務やナースコール対応など、やることが多く、現実にはまったくとれません。「おかしい」という声もあがるのですが、「なんとかしよう」ではなく「なんとかやりすごそう」という感じで仕事をしています。同じ学校で学んだ仲間とひさしぶりに会う機会があり意見交換をしたんですが、私の職場よりもひどい現状で働いてる人たちがたくさんいたのがとてもショックでした。私は仕事にとてもやりがいを感じていますが、いまのままでは充分な介護が出来ないし、自分がいつかはこわれてしまうのではないかと不安を感じています。またこんなことでは、利用者に安心してすごしていただくことができません。 私がそうだったみたいに将来に期待をもった学生が、いざ社会に出た時にひどい現実を身をもって体験し、社会に幻滅するなんてことは絶対させたくありません。集会で聞いたことをかてに、自分のためにもこれから社会に出て働いていく人のためにも、がんばりたいと思いました。 福祉の現状が厳しいなか、働く仲間が次つぎに倒れていっています。それは働いている人数が少なすぎるからだと思います。運動をおこし、福祉職の雇用をふやすとりくみをしていき、より良い介護が出来るように日々努力していく決意です。 アンケートで就職難にくるしむ学生の姿があきらかに 中央大学 池内沙織 学内で学生の実態を知るためのアンケートをとりました。みんなに共通の悩みは、高学費の問題と就職難。就職難の悩みは、すでに一年生の間でも深刻になっています。とくに女子学生は「女だから不利」という理由で、やりがいを感じられなくても資格をとらなきゃ、と必死です。学ぶ機会が保障されるべき学生が、高学費と就職難にしめつけられています。そうしたなかで私が重要だと思うのは、社会をどうとらえるか、ということです。「現実は変えていける!!」――そういう視点から、過密労働の実態や、就職難のしくみを見ぬく学習にとりくんでいます。来月には、実際に職場の女性差別とたたかって裁判で勝利した原告の方をよんで、話を聞きます。 こういう学びのなかで、それまでは悩みだらけだった一年生に変化がありました。私は彼女の変化を目の当たりにして、また彼女の言葉を聞いて、社会を構成している人間がかわれるのだから社会がかわらないはずがないと確信しました。「自分が学び、そして仲間がいれば社会はかわるしかえていける! 仲間こそ力だ! だから一緒に学べる人をふやしたい」と彼女はいいます。 歴史を動かしてきたのはだれか。万能のヒーローではなく、庶民の連帯の力です。私たちこそ力を持っている!! 私たちがあきらめさえしなければ、社会はかわる。学問とは、人間を自由にすることだと私は思います。本質を見ぬく学びと行動!! 皆さんと社会をうごかしたい。 マクドナルドで有休をもとめてたたかってきた 神奈川 民青同盟 北東地区 坂口英二 ぼくは、マクドナルド7年7カ月、働いていますが、時給は800円でスタートしてから、40円しかあがっていません。給料もあがらないし、人もふえないという状態で、いままでどうしていいのかわからなかった。でも、きょうの分科会や集会に参加して、もっとまわりのみんなと語りあっていきたいと思いました。ぼくは、民青同盟に入って2年間、店のオーナーに有給休暇や時給アップについて、要求してきました。しかし、オーナーは交渉に応じくれません。当たり前の権利が認められるためにも、もっとたたかう仲間をふやしてがんばりたいと思います。 請負・派遣の仲間で組合をつくり、賃上げ待遇改善などかちとる 徳島 矢部浩史 私は、いわゆる「偽装請負社員」です。2000年に入社して5年がすぎました。仕事に興味をもち、一生懸命仕事をしました。正社員より仕事ができなければ解雇されるという思いもありました。試用期間が2週間で、その間に、係長や班長が「使い物にならない」と判断すると、解雇されます。賃金は入社した時から時給1100円でまったくかわらず、退職金などの将来の保障もありません。しかし、仕事だけは年々きつくなって、このままでは将来展望もないし、なんとかしなければいけないと思いました。 2004年5月末に、派遣先企業である光洋シーリングテクノの総務部に、「私たちの扱いが派遣労働者なのか、請負労働者なのか、はっきりさせてほしい。法律を守ってほしい」と、労働条件の改善をはかるようもとめました。派遣元であるダイテックは「客先である派遣先企業と直接話をするな」と、解雇をにおわせてまで、止めようとするありさまで、話になりません。その後、徳島労働局にもでむきましたが、労基署、ハローワークをたらいまわしさせられただけで、なんの解決もしめしてくれませんでした。そこで、同僚たちと組合づくりの相談をし、JMIU(全日本金属情報機器労働組合)に加入することを決意しました。「JMIUには1人でも入れるし、加入するだけでただちに団体交渉できる。しかし、労働組合は多いほうがよいので、職場によびかけてみんなでたたかおう」とよびかけたところ、2つの派遣元を軸に20数名の青年が加入してくれ、平均年齢26歳の組合が結成されました。2005年1月には6名が解雇される事件も起きましたが、組合の交渉で即日撤回させました。未払いの皆勤手当を支払わせ、前借金の手数料も払い戻させました。作業服や靴の無料支給など、多くの要求が前進しました。春闘ではわずかですが、賃上げもかちとりました。 現在、派遣先企業に直接雇用するようもとめて、たたかいをはじめたところです。JMIUの組合の仲間と一致団結して、最後までがんばりたいと思います。 「餃子の王将」で解雇を撤回させた 東京 千代田青年ユニオン 今野裕美
バイト先での解雇撤回と、休業補償をかちとった経験を紹介します。 私は、「餃子の王将」でアルバイトをして、学費をかせいでいました。この春、突然、店長から「優秀な人材がほしいから契約をうちきらせてもらう」といわれました。なぜ自分だけがいわれたのか、はっきりした理由がわからないままでした。以前読んだ本で、解雇には理由が必要だと知っていたのと、ちょうどそのころ大学の授業が解雇についてでしたので、授業が終わってから先生に相談したら、不当解雇だといわれ「首都圏青年ユニオン」を紹介してくれました。すぐに電話をして相談に行きました。やはり解雇は不当だということで、さっそく会社と団体交渉をしました。 団体交渉をはじめたら、まっさきに「雇い止めは、会社じゃなく店長がしたこと。申し訳ありません。すぐに戻ってきてください」と、休んでいた2カ月分の給料と時給の差額も払ってくれました。いまは店にもどって普通にバイトをしています。以前とちがい、店長がとてもていねいに対応してくれています。かわったことは、前より社員の反応がよくなったり、出勤簿もちゃんとつけるようになったりしたことです。 青年ユニオンでたたかうなかで、民青同盟の人たちに出会いました。民青では仲間といっしょにたたかうことやあたたかさを知りました。千代田の仲間はバイト先によく食べに来てくれます。一人でバイトしていても仲間の存在が心づよいです。いまは王将で働くバイトとパートのみんなが有給休暇を所得できるようビラを作り、みんなでまいたりしています。また千代田青年ユニオンや民青同盟が協力して、「日比谷ランチ宣伝」を毎週おこない、たくさんの青年の声を聞いています。青年の深刻な実態をなんとかかえるために区議会要請も計画しています。同じ境遇の人の力になりたいと思い、これからも学んでいきたいと思います。 みんなで学んで声をあげれば、政府もトヨタもうごかせる 愛知 民青同盟 西三河地区 内藤真二
私たちの街は、トヨタ本社やデンソー、アイシンなどのトヨタグループ、それらの下請などの中小零細企業がたくさんある地域で、たぶん日本で一番仕事がある地域です。でも、多くは派遣、アルバイトの非正規です。トヨタのある工場は、従業員の半分は派遣や請負の短期雇用だそうです。一方で、若い正社員のなかには過労死するほど働いている人もいます。実際にトヨタの社員の方が過労死して。遺族の方が労災認定をもとめ、裁判をやっています。また、小さい会社では経営者も労働者も、労働基準法を知らないために、ひどい労働条件で働いています。 ぼくも自分にどんな権利があるか、ほとんど知りませんでした。友だちから仕事の悩みの相談を受けても、グチを聞くだけしかできませんでした。それが、去年の全国青年大集会に代表を派遣したり、先ほど紹介した過労死した方の労災認定をもとめる署名あつめをするなかで、「自分の権利を自分が知らないのはおかしい。知ろう」と仲間から声が出されました。そこで、労基法の学習会や職場の実態の交流をすると、好評で、その後もくり返し学習会などをしてきました。そんななかで、わずかですが職場改善の成果をかちとる仲間が出てきました。有給休暇がとれるようになった人、お昼休みがとれるようになった人、解雇予告手当を支払わせた人などがいます。彼らの会社に組合はありませんでした。それでも、声を上げてかえてきました。青年ユニオンなどを作ったりして、もっと多くの青年と手をむすび、学んで声をあげれば、政府もトヨタも動かせるんじゃないかと思います。みんなで人間らしく働くために運動をひろげていきましょう! きょうは、実際に有給がとれるようになった仲間が参加していますので、話してもらいたいと思います。 野村知史 ぼくは従業員15人ほどの小さな製本会社に勤めています。この会社に入って1年7ヶ月たちました。学習会で、半年たてば有給休暇がもらえることは知っていましたが、入社するとき何も説明も受けていなかったし、会社が有給休暇をくれるかわからず、なんとなくそのままになっていました。一年すぎたあたりに、民青同盟の仲間が会社にいって有給休暇が取れるようになったと聞き、「いいなぁ」と思い、社長に「一年以上働いているんですが有給休暇はもらえないんですか?」と聞いてみました。そうしたら「それは悪かったね」と2日後に有給休暇届けの用紙をもらうことができました。権利を知るだけじゃなくて実際に行動していくことがすごく大事だと思います。 仲間たちに勇気をもらい会社と交渉し、解雇を撤回させた 東京 民青同盟 品川地区 大谷由紀子
福祉の職場で働いています。おもいきって組合をつくり、同僚にもよびかけたら、「私も同じことを悩んでいた」と加入してくれました。いまは月一回、組合会議をひらき、権利を学んだり職場で改善したいことについて話しあっています。今度団体交渉をする予定です。小さな勇気が職場をかえると信じています。 石田ちひろ 私は小さな歯医者で歯科衛生士をしています。もうけ第一、大企業優先の日本の社会のなかで、青年はモノのように、ゴミのようにあつかわれています。私はもうけのコマになんかなっていないと思っていたし、ゴミにように捨てられるようになっていないと思っていました。でもある日突然、会社から解雇通告を受けました。「お前がいると営業成績があがらない、だからやめてくれ」といわれました。「まさか自分が」と、わけがわからなくなりました。そしてこれからどうしていけばいいのか、不安がおそいかかり、一人の時は涙がとまりませんでした。「自分が悪いのだから、仕方がない」とも思っていましたが、念のために入っていた労働組合に相談したところ、クビにできるような内容ではないといわれました。 最初は、9年間も勤めた会社だから、「潮時かな」という思いもありましたが、ここで辞めるのも納得がいかないとも思いました。辞めるのか、解雇撤回をさせるのか、かっとうの毎日でした。納得のいかないまま辞めたらくいが残るし、たたかうことを決意しました。3回も会社側との交渉を続け、見事解雇を撤回させることができました。いまも同じ職場で働いています。しかし、職場では、今まで仲のよかった先生が急に話もしてくれなかったり、お昼もいままでと違い、一人で食べています。職場の雰囲気は冷たくなりました。 「辞めれるなら辞めたい」と思うときはよくあります。でも私には勇気をくれた仲間たちがいます。たたかうときにはすごい勇気が必要でしたが、私を励ましてくれたのは民青の仲間たちでした。かけがえのない仲間たちです。職場をかえるのは容易ではないですが、声をあげれば職場はかえられると実感しています。そして、ルールを守っていない企業や日本社会も、きょう参加している仲間たち、全国の青年と手をとりあえばかえられると確信しています。これからもがんばっていきたいと思っています。 品川では、集会にむけて12団体の労働組合に申し入れて、毎週月、金曜日に朝宣伝をしてきました。日曜日でもアンケートと署名で集会の参加をひろげ、3週間で200筆を集め、今日は41名の仲間と参加しています。「人間らしく働きたい」という声をあげればかえられる、このことを最後にいって、発言を終わります。 ハローワークの時間延長を交渉でかちとった 茨城 鈴木瞳 みなさんこんにちは。茨城ではこの間、民青同盟の班会議で、みんなの働く実態を交流したり、労働組合で活動する先輩を招き学習会をしてきました。日本共産党のみなさんとも相談して交渉し、ハローワークの時間延長をかちとることができ、土曜日もあいています。 はじめは県庁所在地では時間延長するという話だったんですが、他にも日立市のハローワークでも延長することができました。 茨城には、いままさに不当解雇とたたかっている仲間もいます。この集会にむけて学内で毎日のように宣伝をしたり、一人でもチラシをまいたりと、一人でも多くの人にこの集会があることを知らせてきました。宣伝カーを一日かりきって、「若者に仕事を」の旗をかかげて水戸市内をぐるぐる回って宣伝してきたりしました。それで茨城では、このような集会にはじめてバスを出して、23人で参加することができました。 私たちの歩みはゆっくりだけれども立ち止まっているわけではないと思います。きょう、この集会にきて、みんなの大きな一歩を感じました。茨城でも、さらに運動をひろげて、来年の集会に参加したいと思います。みなさんともにがんばりましょう。 上司の不当解雇をきっかけにユニオンを結成 静岡青年ユニオン 鳥居育世
静岡青年ユニオンは、2004年の12月4日にたちあがりまして、少しずつですが会員をふやすようになりがんばっています。 静岡の青年ユニオンをどうして立ち上げたかというと、静岡でも、大変な労働条件のもとで働いている青年がたくさんいるからです。私も実際、介護の施設で働いていたんですが、お金が好きな施設長のおかげで、私の上司である主任が不当に解雇されまして、それをきっかけに自治労連と知りあい、「首都圏青年ユニオン」を紹介されてここまでがんばることができました。 いま活動が少しずつすすんで、9月の23日には、「支える会」がスタートしました。大学の先生や学者、弁護士にも協力してもらい、カンパも200万円ほど集まっています。このように支えてくれる人たちにも出会えることができて、さらにがんばっていこうとみんなでやっているところです。 この集会にはじめて参加したんですけれど、青年ユニオンをはじめとして、千代田ですとか台東、品川とか三重とか九州からも青年ユニオンを立ち上げようと、みんながんばっているということがひしひしと伝わってきましたので、これを静岡にもち帰って、さらに力をつけて、来年またここにもどってきたいなと思っています。よろしくお願いします。 携帯電話ショップではたらく仲間の未払い賃金を払わせたり、一回の遅刻でクビになった青年といっしょにたたかったりするなかで、「これらは氷山の一角。身近で相談できるところをひろげていこう」と、労働相談を続けるようになりました。そして、自分のやりたい仕事がみつからないという青年も少なくないなかで、生きがいやはたらきがいを語る会や、同業種の青年たちが語りあう場として「ぐちり場」をひらいてきました。調理人志望の高校生といっしょに、あこがれのレストランで食事したあと厨房見学もして、見事その系列の職場に内定するということもありました。 労働相談とあわせて、青年が学び、成長できる場が必要だと思います。労働相談のなかでは「そうはいってもしょうがないでしょ」という声に出会います。そういうときは「労働者や青年に冷たい政治をかえよう」とよびかけています。仲間の一人は、アルバイト生活がつづいて不安だといっていましたが、「青年の雇用は個人の問題ではなく社会の問題だ」とわかり、街頭労働相談の先頭に立つようになっています。 街頭労働相談では、人前で相談するのはせっぱつまった人で、気にしながら通りすぎていく、潜在的な相談者がまだまだいると考えています。そんな人が気軽に相談できる場所をつくれるように、あらためてがんばっていきたいと思います。 今回の集会には、福岡から14名で参加しています。大牟田では、2年前から、失業者にまともな仕事と生活保障をもとめる活動をおこない、そのなかで絶望にうちひしがれた青年たちに出出会ってきました。何十社面接を受けても就職できず泣きながらハローワークにかよう10代の女性、長時間過密労働でたおれたすえに障害をもって幸せな家庭さえも失った20歳の男性、不安定雇用と失業をくりかえすうちにうつ病になった30代の男性。このような過酷な状況におかれている青年たちに何かできることはないかと、民青同盟と共同して、「悩みごと相談会」のお知らせや、未払い残業代が簡単に計算し請求できる内容証明付きのビラなどを、ハローワーク前や駅で配ってきました。 不安定雇用者が増大している現在、活動も思うようにすすまず、くやしい思いもしています。もっと運動をすすめて青年たちが笑顔ですごせることができないかと、フランスの社会保障制度を学習しました。失業中は公共交通機関が無料、光熱費も無料など、失業者も安心してすごせる社会保障制度があることを知りました。日本でも、こういう社会保障制度が必要ではと、バスなど公共交通機関の無料化をもとめる運動の準備をはじめたところです。 他の地域でも、大学や高校の担当者との懇談や、駅前での宣伝にとりくんでいます。おかえりなさい宣伝で対話になり、いっしょに自治体への要請行動に参加した青年もいます。組合をつくって不当解雇にたいしてたたかっている青年も、この集会にいっしょにきています。青年たちが希望をもてるような社会、だれもが安心して暮らせる社会をめざして、ともにがんばりましょう。 最低賃金ではとても生活できないことを実感 埼玉県労働組合連合会 青年部長 船田洋丈 埼労連青年部で「最低賃金体験」をしました。埼玉では最低賃金が時給約680円なんですが、まともな生活ができるのか、実際に体験をしてみようじゃないかというとりくみです。今年3月に丸1ヶ月しました。22日間を8時間働いたとして約12万円の給料になり、そこから家賃、社会保険料、水光熱費とか、電話代などをひくと、手元には3万円しか残りません。それで、食事や交通費、衣服代をやりくりするということでやりました。お金を使ってしまうので、コンビニに入るのも恐怖症になるような生活で、体重も83キロから71キロにおち、これが1ヶ月だったからいいけど、ずっと続いたらたいへんなことになるぞという体験でした。 結果、最低賃金ではとても人間らしい生活ができるものではないということがあきらかになりました。あと、友だちづきあいとかまでこわれかねない水準だということを身をもって体験しました。そして年金などの社会保障も、これじゃあ払えないと思います。 働くまでも遠い時代になっているけど、いざ働いたときにもこんな賃金だと、それこそボロキレのような生活になってしまうし、現にそのような生活をしている人がいて、たいへんな状態だと思う。いま世の中を見渡すと、なんでもかんでも「安いが正義」みたいな風潮があるけど、給料まで安くなることに正義はないと思います。この最低賃金をはじめ、給料全体を引き上げていくような大きな運動を起こしていきたいと思います。 みなさんこんにちは。私は医療現場の話をしたいと思います。いま医療は大変なことになっています。この会場にも医療や福祉の仕事をしている人や、めざしている人もたくさんいると思います。私たちがとったアンケートのなかで、「十分な看護ができている」と答えた人は8,7%にすぎませんでした。また、医療事故など患者さんの生命をおびやかす事故も起きています。それがなぜ起こるのかというと、本当に人手が足りていないことが大きな原因になっています。 この集会は、雇用をふやせという集会ですが、ことし、医労連でも人をふやせという要求をしています。青年が人間らしく働くためにも、この要求は大事だと思います。医療の現場からもこの運動を大きくしていきたいと思います。 2005年は民青同盟と青年がいっしょになって要求を実現した記念すべき年です。ひとつは2億円の予算をつけて実現させたフットサル場の建設です。もう一つが港区がはじめた若年雇用対策です。これは、港区が実際に半年間、青年を雇うというビジネス版インターンシップ制度です。すでに2回実施され、就職がきまった青年や、この制度を活用し、再就職を決めた青年もうまれました。 ぼくたちの運動はシンプルです。まずは、自分たちの実態やまわりの友だち、同僚の実態に心をよせて話しあうこと。そしてそのおおもとになにがあるのかを学んで、実際に行動することです。要求が実現できたのは、ともによく話しあって、宣伝や署名行動、大討論会などをくり返しおこなってきたからです。大企業の本社が集中する港区で、青年の実態をリアルを知るために、企業の近くでも宣伝しました。ある大手電気会社で働く多くの青年が派遣社員であり、残業を当たり前にしている一方で、すでに退職を考えている人が多くいることがわかったり、あるテレビ局の場合は、1ヶ月に2日くらいしか家に帰れないなど、すさまじい実態を話しこんだりしました。対話・宣伝をくり返すなかで、「サービス残業って違法なの? うちの会社では日常茶飯事だよ」という声がよせられ、ぼくたちのアドバイスで、実際に残業代を支払わせる青年もうまれました。 こんなことはもうほっとけないと、ぼくたちは区政への政策を独自にまとめました。日本共産党区議団に要請し、区議会でも取りあげてもらいました。そして、その声がついに区政をうごかし、要求実現の一歩となったのです。一方、ぼくも残業や休日出勤が多く、疲れがたまると、家に引きこもることもしばしばです。会社は基本給が月7万円と、給料が低く、このままでは本当に将来が不安です。組合もありません。このままいまの会社に残っていていいのかと悩んでいても、新しい職場が見つかるとはとても思えず、仕事がたまると、とても落ち込んでしまいます。そんなときは班の仲間に励ましてもらっています。そのなかで、どうすれば解決できるかを話しあい、いま、職場の黒書も準備中です。 まだまだ初めの一歩ですが、こんな実態をほっとけないですよね。そこで、『サービス残業ノー』都市宣言をあげさせるための区長交渉を準備中です。ぼくたちの運動で自治体も動くし、社会もかわると思います。ともにがんばりましょう。 私は、6月12日に開催した、京都・円山青年一揆のとりくみについて報告します。 集会をやろうというきっかけは、昨年の全国青年大集会に参加したことでした。京都でもこんな集会ができないかと、2月に第1回の実行委員会を開催し、それ以来、10回にわたる実行委員会をおこなってきました。組合青年部、学生自治会、民青同盟からの参加で、回を重ねるごとに、「こんな集会のよびかけをまっていた」「職場のことで悩んでいたが勇気づけられた」「京都の働く青年たちにこの集会で怒りをぶつけてほしい」など、成功させたいという思いがひろがっていきました。はじめは500人の会場でどうだろうかという提案にも、「その程度のかまえでは青年に熱意がつたわらない。みんな心のなかでは仕事をくれ、金をくれとと叫んでいる。この怒りや願いにこたえる集会にしたい。円山音楽堂を青年でうめようや」という議論になり、会場は円山音楽堂に全会一致で決まりました。集会名の議論でも、「横文字でしゃれた名前はもういらない。働く青年、働きたい青年のエネルギーを集め、円山音楽堂をうめるにふさわしい名称をつけよう」と議論になり、最終的に「円山青年一揆」ということになりました。この集会名には、私たちが出会ってきた青年たちの深刻な実態に、「苦しいのはあなたのせいじゃないんだ」という共感と、「仕事や就職難であきらめるな、自分と仲間と日本のあしたのためにたちあがろう」という熱いよびかけがこめられています。日本プロ野球選手会・事務局長の松原徹さんが、先約をことわり私たちの集会にかけつけてくれることになったのも、「若者に元気がないといわれるこんな時に、若者だけで、しかも京都だけで3000人もあつめようなんてどんな青年たちなんだ」という思いがあったからだそうです。参加者の感想には、「みんなの発言を聞いてオレのいいたいことがここにあると思った。あしたからまたがんばって仕事に行こうと思えた」「きのうまで仕事がないのは自分のせいだと、バラバラにされていたことがわかった」など、一揆をきっかけにそういう声が次つぎによせられました。 集会を通して、青年が仕事や就職難の原因を、政治や社会全体の問題としてとらえ、反撃ののろしをあげる決意がみなぎる集会となりました。また、悩んでいるのは一人じゃないこと、近くに同じ思いをもった多くの仲間がいること、その仲間と団結することなどを学びました。私たちは、992人の青年が、「一揆」を通じてかわっていくことを実感できました。この変化を京都42万青年の願いにこたえる大きなとりくみに発展させようと、草の根のネットワークづくりをめざす決意です。ともにがんばりましょう。 僕は、システムエンジニアとして働いていました。労働時間が異常で、朝の8時40分に出勤して、帰るのは午前0時ごろ。遅いときは深夜3時でした。1日あたり16時間の労働です。1日4時間しか眠れません。それが2年間続きました。ぼくは、うつ病になって働けない、うごけない。体も心もぼろぼろでした。一人暮らしだったからさびしかったし、悲しかった。会社をものすごくうらみました。労働基準監督署に内部告発をして訴え、いま裁判中です。ぼくの体をこんなにして、どうつぐなってくれるんだというくやしさのあまり、「会社をつぶしてやる」とばかり思っていました。そんなころ、民青同盟の仲間と出会いました。会社とたたかっているなんてすごいな、といわれたけど僕は会社をにくんでいたからうしろめたい気持ちもありました。 いっしょに活動するなかで「自分の怒りは当然なんだ」と自分を受け入れることができました。いまぼくは仲間といっしょに長時間労働の青年たちに、大阪ビジネスパークというビジネス街のど真んなかでメガホンを握って、ビラをまいています。内容は、「サービス残業は違法で、しなくていいんだ」というもので、ものすごくウケがいいんです。通りすぎる半分以上の人がビラを受けとっていきます。 活動を始めて人生が180度かわりました。半年前まで、ただの被害者だったぼくは、いまでは活動家です。病気を治しながらですが、これからもがんばりたい。みなさん、泣き寝入りせずに、あきらめずに、壁をよじ登ってたたかおうではありませんか。 |
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