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新潟中越地震 青年ボランティア通信 12/3 ■3日、茨城から2人の青年が物資とともに参加し、のべ参加人数は1083人になりました。「大学の掲示板にビラがはってあった。詳細を知りたい(兵庫)」「日曜日1日だけでも大丈夫?(長野)」と、週末にむけセンターへの問い合わせも増え、土日は40人近くの参加が予定されています。小千谷2カ所と長岡、川口各地で活動しました。 ■12月1日、小千谷チームが、物資を届けながら要望のききとりをして、東吉谷をまわりました。あるお宅で要望を聞くと「山の奥にある畑の収穫をしたいが、道がなくなり困っている。手伝ってもらいたい」とお願いされました。 翌日、5人のメンバーはいつもよりも早く事務所を出発。現地に着くと一輪車を4台準備して待っていてくれました。様子を詳しく聞くと、大根や白菜、ねぎやサツマイモをつくっている畑は山頂にあり、地震の影響で車で入れるのは2キロはなれたところまでとのこと。さっそく一輪車をもって畑に向かいました。畑までの道はところどころ陥没し、くずれた田んぼのどろが雨で流れだしています。その道を、多い人で8往復(32キロ!)、女性も5往復(20キロ!)して、泥だらけになって大きな大根を何本も運びました。 お昼には、とれたての大根のおみそ汁をごちそうしていただき、ゆっくりとお話を聞くことが出来ました。家の方は、「はじめに市のボランティアに頼んだけど断られ、収穫はあきらめていた。みなさんが来てくれなかったら、野菜はダメになっていた。田んぼは、来年は無理そうなので、この野菜が最後の収入になるかもしれない。来てくれて、収穫できて本当に良かった」ととても喜んでくれました。 センターに戻ると「今日はとても助かった。自分の家だけでなく、近所にも声をかけるので、ぜひ明日も来て下さい」と電話がありました。翌日にもボランティア隊がいっしょに作業をして、収穫をあきらめていた4軒の農家を励ますことができました。引きつづき、要望アンケートを集めながらの対話を大切に、被災者の声にこたえていきましょう。 引越隊も大活躍!! ■先日から行政のボランティアと協力しておこなっている仮設住宅への引越に、長崎と東京から来た3人の10代青年が参加しています。「引越の手伝いははじめてなのでとまどったけど、時間が経つうちに積極的に運べたと思う。もっと荷物を手際よく運べるようになって、地元の方ともふれあいたい」(堀江一平)「引越の手伝いと交通整理をした。13軒くらいの引越を手伝って、けっこうきつかった。地域の人とのコミュニケーションを増やしたい」(尾崎崇史) 「ありがとう」の笑顔が元気の素 神奈川・塩川 潤(22才・フリーター) ■23日から1週間活動しました。長岡に来て最初の印象は「それほど大変ではないのでは?」というものでした。しかし、1日2日と経ち、被災者の方と話し、倒壊した建物や破損部位を見ていく中で「自分は何も知らなかったんだ」と言うことに気づかされました。いろいろな人がいました、お年寄りから青年、小さな子どもたち、みんながみんなそれぞれの悩みや不安を抱えていました。「アパートに引っ越したけど、怖くて夜、1人では眠れない」「職場が震災でつぶれてしまい、仕事を探しているが見つからないよ」…色々と聞かせていただきました。 そんな被災者の方の悩みや不安を少しでも和らげられる事を、色々なことをして気が付きました。自分がしたことで被災者の方が笑顔になったり「ありがとう」と言ってくれると、自分も笑顔になり幸せな気分になるんだなぁ〜と気が付きました。みなさん笑顔で頑張って下さい。 12/2 12月になりました。青年ボランティアセンター開設から1ヶ月をすぎ、すでにのべ参加人数は1060人に達しています。 長岡にて ■2日、長岡のセンターに物資を取りに来た若い夫婦(見附市・24才)に声をかけ、生活や仕事の様子をききました。「震災後避難所で生活をしていたけど、今は車の中で生活しています。派遣の仕事がはじまる直前に地震があり、来ないでいいといわれてしまいました。まもなく仮設に移るんですが、生活のためにとにかく何でもいいから仕事が欲しい」。この間取り組んでいるハローワーク宣伝や、厚労省交渉のことを伝えると、「震災で会社も大変だと思う、国がしっかり雇用対策をしてほしい」と話してくれました。引きつづき、雇用アンケートに取り組みたいと思います。 小千谷での活動 ■小千谷では、時水・吉谷周辺の地域で、要望アンケートに基づいて物資を届け、片づけを手伝っています。1日の行動では、その場で書籍の片づけをたのまれたり、こわれた窓枠とガラスを解体・分別作業などをしました。この日から参加したメンバーは「元の生活に戻るには時間がかかりそう、一つずつてつだって復旧に向け協力したい」(東京・日下部さん)などの感想を残しています。 川口での活動 ■チーム川口は、11月29日から両新田にて障子貼り。はじめは慣れなかった作業も、数をこなすうちにうまくなり、近所の方から「次はうちも手伝って」と声がかかっています。仕上がった障子をみて、「これで気持ちよく正月を迎えられる」と喜ばれています。30日には、田麦山で片づけを行いました。チェーンソーやバールを使って材木を切断するなど大仕事で、まだまだボランティアの人手が必要な作業がたくさんあることを実感しました。 「何十回もの『ありがとう』が、励みに」 神奈川・本多史和(フリーター) ■たいしたことはやっていません。特別なことはやっていません。家屋の片づけ・物資のお届け・聞き込み調査等々の2週間でした。活動の中で、何回、何十回かわからないくらい「ありがとう」と言ってもらい、頭を下げていただきました。自分がやっていることでこんなにも喜んでもらえる、そんな単純なことがとても嬉しく、今回、ボランティア活動に参加できたことを誇りに思うと同時に、参加できて本当に良かったと思っています。 最後に、今までボランティア活動をしてきた方も、これから参加される方も含めて、寒い季節になりますので、体には気をつけて、これからも頑張って下さい!!!心より応援しています。 「地震の被害の大きさを再確認」 埼玉・山々(学生) ■本日の午後、埼玉に帰ります。16日にこちらにやってきてから、10日あまりの活動でしたが、地震は、ただ揺れるだけではないということがよく分かりました。 初日、小出から自転車で長岡に向かいましたが、地震から3週間経ってもこのありさまかと衝撃を受けました。その後の活動で、地震が人々の暮らしに与えた影響が見えてきました。比較的被害が軽微だと思われる長岡の叔父の家も、今でも2階の寝室ではなく、1階の居間で普段着のまま生活しています。活動では、被災された方、、仲間のボランティアなど、それなりの数の人々と「出会い」ました。地震がなければ、交流することの無かった、人生と人生、その無数の交点が、地震の爪痕を癒す大きな力になっていると感じました。最後に、一緒に活動し、至らない部分を支えてくれたみなさん、ありがとうございました。 11/29 ■青年センターが開設して1ヶ月。深刻な被災者の実態に心をよせ、「被災者の生活をとりもどす力になりたい」「被災者の笑顔にふれられ、うれしかった」と、のべ1000人の青年が、被災地で希望をひろげるボランティア活動にとりくみました。27、28日も、宮城から9人、東京目黒から12人、千葉から13人の青年が参加するなど奮闘をひろげました。 ○受験生の勉強部屋確保を実現! ■チーム川口は、この間、中学生、高校生の願いにこたえようと、一人ひとり要望を聞き取りながら、丁寧に対応をしています。相川の避難所では、検査技師になりたいという受験生は「落ち着いて勉強するスペースがない」と悩みをうちあけてくれました。川口のメンバーは、みんなで相談し、町の教育委員会と避難所の責任者に、その声を届け対応をもとめました。避難所の責任者に話をした次の日、避難所の2階の倉庫をきれいに片づけ、暖房と電気を入れて、勉強するスペースをつくることが決まりました。また教育委員会の担当者も「被災した生徒の実態をさらにつかみ、対応する」ことを約束。相談してくれた受験生も「これで勉強することができる。夢にむかってがんばりたい」と話してくれました。 ○長岡「仮設住宅への引っ越し」ボランティアでも活躍! ■仮設住宅の入居がはじまっている長岡市には、連日5名の青年が「仮設住宅への引っ越し」ボランティアで、がんばっています。行政のボランティアと協力して搬入係、運搬係、警備係にわかれての共同作業。家が壊れてしまったところの家具や冷蔵庫、洗濯機が大量に運び込まれ、それを丁寧に仮設住宅に搬入したりしてきました。3日間参加した石井さんは「仮設住宅には入居者が次々入り、毎日変化している。最初の日に何もなかった家の前に、ゴミ、ペット、植木…日に日に生活感がでてくることを実感した。ここがこの人達の住む場所なんだなって。仮設住宅に一番早く入った人は『みそ汁のにおいを感じて感動した』と話したそう。被災者の切実な思いが少しわかった気がする」と感想を話しています。 ○作業を終えた帰り、携帯電話に「ありがとう!」と ■小千谷市では27日、2階建てのアパートから粗大ゴミをだしてほしいという要望にこたえて、宮城や東京・目黒、神奈川の青年ら6人がかけつけました。タンスや冷蔵庫など重たいものをみんなで協力しながら次々とはこびだしました。 約1時間で作業をおえて帰る途中、リーダーの塩川くんの携帯に電話。「塩川さんですか?本当にありがとうございました。テレビで見るボランティアの姿にあまり実感はなかったんですけど、本当に感謝しています」と話してくれました。塩川さんは、「電話をしてくれただけでも、こちらも本当にうれしい。これからもがんばりましょう」とこたえました。塩川さんは、「ぼくの名前を覚えてくれていただけでもうれしい。やった甲斐がありました」と語っています。 ほかにも、小千谷市時水で、青空フリマ&お汁粉隊、川口町西川口原新田で、出張バザー&甘酒隊をくりだし、とても喜ばれました。 28日の感想より 青森 色摩詠吏さん(19歳・フリーター) ■今日、僕の中で一番衝撃を受けたのは、田麦山小学校での被災青年への聞き取りで、出会った高校3年生の話でした。彼は被災する前には就職の内定が決まっていましたが、地震の影響により内定していた就職先が営業停止状態に陥り、人件費削減のため内定が取り消しになったそうです。人件費削減のあおりは、彼だけじゃなく他の内定者がさらに社員にまでおよんでいるそうです。僕は、こんなひどい状態の人が他にもいると思うとやるせない気持ちになります。こんな時こそ僕たちのようなボランティアが被災者に話を聞き、少しでも早く元の状態に戻れるように頑張らないといけないと思いました。そのために、この問題について、もっとしっかり勉強して被災者のために、今、自分が何ができるのかを考えようと思いました。 宮城 角野太佳さん(15歳・中学生) ■最初フリーマーケットには、本当に人が来るのかなと思っていたけど、意外にたくさん来てくれて、物資も持っていってくれてよかった。喜んでくれている人の顔を見て気分がよくなった。今日は新潟の人にとっても、自分にとってもいい一日だったと思う。 千葉・二瓶崇さん(会社員) ■想像していた以上に被害の跡が残っていてショックでした。国の積極的な介入があればある程、被災者の人達は救われるのにと思いました。たぶん被害のほんの一部を見ただけなんだろうと思うけど、それでも被害の大きさと地震の恐さを感じました。一日でも早く普段の生活に戻れる事を願います。 東京・久保友仁さん(19歳・学生) ■地味でこそあったが、泥をきれいにするのは、大変な作業だった。特に風呂場では、タイルの目に泥がつまっており、掃除には苦労した。実際にこんな所まで水につかっていたということが実感できた。被災家屋の深刻さがよくわかったが、補償がきちんとなされるのかという点が心配。多くの仲間と楽しく活動できてよかった 11/24 ■11月21日、ケーキを届け、たいへん喜ばれた森山みなみさんと翼くん、ご家族の方からお礼の手紙をいただきました。 ――ボランティアのお姉さん 今日は、私の誕生日のためにケーキを作っていただきありがとうございました。このような誕生日は一生に一度しかないと思います。いつもは母の手作りケーキですが、今日のケーキは大勢の人の気持ちがいっぱいつまっていてとってもうれしかったです。 私は、フルーツケーキでしたが、お店のケーキを食べているようでした。こんなおいしいケーキを避難所で食べられると思っていなかったので、すっごくすっごくびっくりしたし、うれしかったです。今日の誕生日パーティーは一生わすれません。いつもは家族だけのパーティーでしたが、今日は大勢の人からおいわいしてもらえてうれしかったです。 しぼんだ心がひらきました。楽しい一日を過ごさせていただきありがとうございました。 H16年 11月21日 森山みなみ―― ――今日は、本当に一生の思い出に残る子ども達の誕生日となりました。 これもみなさまの真心のおかげです。11月4日生まれのみなみと17日生まれの翼(「ぼくはやっと2桁になる」と大人気分)の誕生日をこんな形で迎えるとは夢にも思っていませんでした。幸い子どもたちは、それなりに我慢をしたり、ストレスもたまっているとは思いますが、明るく毎日を過ごしていて、私たち大人の方が助けられています。自分はいろいろな面で我慢できても、子どもたちに不憫な思いをさせてと思うと涙がでる時もあります。でも家や土地を失っても家族8人全員が無事でみな健康、23日からの陸の孤島となった3日間を経験し、何とか生きていけるのかなという自信も少しつきました。仮設住宅後のことを考えるとまだまだ見通しを持てませんが、一日一日を精一杯過ごし、夜みんなで布団に入り、無事、朝を迎えられることを祈っています。私ごとを長々と書いてしまい申し訳ありません。 今日は長岡からわざわざそれも大勢の方でお祝いにおいでいただき、本当に感謝です。昨日のお願いで、即日の承諾にありがたい気持ちでいっぱいです。さきほど地区のみんなでお祝いをしおえました。そしてほんの少しずつですが、味わっていただきました。そしたら何とその中に今日、誕生日の方もいらして盛り上がりました。これもみなさまの愛情ケーキのおかげです。書面をもってのお礼をお許し下さい。もうすぐ初雪の季節、みなさま体調などくずしませぬよう ご活躍下さいませ。 平成16年11月21日 民青同盟のみなさま 森山みなみ、翼の母 晴美―― 「話を聞いてほんとうに必要なことができる場所」――5日間のボランティア活動をおえた原孝志さん(神奈川) ■今日帰ります。5日間、ボランティア活動をさせていただきました。私は、ほとんど小千谷市内で、活動をしていました。ほんの5日間では、現在の状況を少し理解できた程度で、たいしたことはできなかったのではないかと思います。今、とても複雑な心境です。地元のことを思えば、帰れることはうれしいのですが、小千谷の人たちのことを思うともっとココで活動したい。淋しさもあります。けれど、小千谷市で見た、たくさんの人たちの笑顔と涙、怒り、悲しみ、淋しさ。一生忘れることはできないでしょう。私たちの活動は、とてもすばらしいです。助けを必要としている人に、手を差し伸べましょう。人によって必要としているものは違うので、話を聞いて、ほんとに必要なことをしてあげる、それができるのがこの場所だと思います。 最後になりますが、みんなありがとう。センターで一緒に活動してくれた人はもちろん、小千谷市の方々にも感謝でいっぱいです。 11/24 震災から1ヶ月。いまだに7000人が避難生活をしいられ、自宅に戻られた方も「雪が積もったらどうなるんだろう」などの不安をかかえながら生活しています。そんななか、被災者の不安や願いをうけとめ、生活再建のためにできることをやろうと23日も、43人の青年がボランティアに参加。この日は天気もよく稲刈りや芋掘り、銀杏拾いの農作業の手伝いをしてとても喜ばれました。参加した青年のレポートを紹介します。 みんなの笑顔でがんばれた――小国町・銀杏ひろい 東京・学生・轟木雅幸さん ■ぎんなん拾いと聞いて少しとまどいましたが、地震の被害が銀杏にも影響していることを知りました。木に登り銀杏を落とす作業など今までに体験したことがないことを体験することができて嬉しかったです。みなさんの明るい笑顔で更に頑張ることが出来ました。ありがとうございました。 今日のようにいろいろな事を知り、体験することがとても大切だと思います。これからもさまざまなことに協力して多くの人の笑顔を咲かせて下さい。 生活に密着した支援が大切――栃尾市・稲刈り 千葉・学生・樋口結さん ■作業は、稲を移動させ、干し、機械に入れるという単純なものだったけど、それをやり続けるのは大変だでした。農家の効率の良い技を見ることができました。ボランティアをした!!というよりも、農業体験のお世話をしてもらったという感じでした。地域の生活に密着した支援の大切さを学びました。ボランティアは自分を成長させる場だと思います。高校の友人にも声をかけてまた参加したいと思います。 里芋を食べるときは必ず思いだしそう――小千谷市・イモ堀り 神奈川・フリーター・原孝志さん ■今日はいも堀りを手伝いました。さつまいもは、簡単に掘れたんですけど、里芋がなんとも手間がかかりました。土に水を多くふくんでいて、いもの周りを細かーい根が無数にはりめぐらされていたため、土がイモにまとわりついてイモを発見するのも難しかった。最初は楽しくやっていたのですが「これはこのままでは終わらない」と思い、みんなでやり方も考えながら作業をして、何とか掘りきることができました。里芋を食べるときには、必ず思い出しそうです。 はじめての体験――栃尾市・稲刈り 千葉・高校生・小林秋貴子さん ■今日は、稲刈りの手伝いをしました。機械で枯れない場所を刈りました。稲刈りをするのは、はじめてで最初は慣れなかったけど、だんだんと慣れてきたし、おばあちゃんたちと話ができてよかったと思っています。また機会があればきたいです。 「私のようなおばあちゃんでも今度は何かしたい」と涙ながらに――小千谷市西吉谷で ■芋掘りが終わり近所の聞き取りをしていると、「うちも手伝ってほしい」と声がかかり、すぐに片づけを手伝いました。ガレキの燃えかすのなかから釘や金具を取り出す作業をしました。灰のなかに手をいれて、きれいにとりだしました。 このお宅には、これまでもご用聞きや、物資の配布など何回もかよっていました。作業が終わって、休憩しながら話をしていると、おばあちゃんから「本当に何度も来てくれてありがとう。もし今度、他の人たちが困るようなことがあったら、私のようなおばあさんんで役にたつかわからないけど、何かしたい」と涙を浮かべて話してくれました。手伝いにいったメンバーは、「こっちも泣きそうになるほど嬉しかった」と感想を残しています。 11/22 青年ボランティアセンターでは、土日のボランティアにのべ128人が参加し、多彩に活動をひろげました。センター開設後、のべ735人がボランティアにとりくんでいます。 川口町 「白菜も運びますよ」――一人で荷物をかかえたおばあちゃんとの出会い ■21日、倒壊家屋の多かった川口町木沢をまわっていると、雨のなか、荷物をいっぱい背負っているおばあちゃんがとおりかかりました。「重たいでしょう」って荷物をもってあげながら対話をすると「実は、畑にある白菜を運んでほしい」といわれました。畑の近くの自宅には住むことができず、いま生活している元教員住宅まで運んでほしいとのことでした。 さっそく次の日にかけつけ、100個ぐらいの白菜を一輪車を使って全部運びました。おばあちゃんは「一人ではたいへんだったから助かった」と。 川口町 誕生日ケーキに涙――田麦山避難所で ■川口町田麦山小学校には、11月に誕生日を迎えたという姉弟、森山みなみちゃん(12歳)、翼くん(10歳)に誕生日ケーキを届けました。 いつもは手作りケーキで祝っているそうですが、今年は震災の避難生活のなかで、ケーキもつくる余裕もありませんでした。そんなときにチラシが目に入り、電話をかけてくれました。「翼くん、10歳の誕生日おめでとう。この1年が翼くんにとって良い年になりますように。地震に負けずがんばれ」などのメッセージをそえ、真心こめたケーキを2つ届けると、子供たちは大喜び。お母さんも涙を流して喜んでくれたのをみて、チーム川口も流れそうになる涙をぐっとこらえるのでせいいっぱいでした。 小千谷市 「甘いもの食べたかった」――お汁粉が大好評 ■吉谷藤田沢では、ガレージを借りて青空フリーマーケットとお汁粉をつくってふるまいました。片づけをしていたおじいちゃん「できたか〜お兄ちゃん!」と言ってお汁粉をとりにきて食べたり、「お母さんにもっていくからちょうだい」と小学生がもっていくなど大好評!被災地は徐々に寒くなってきているなかで、あたたかいものも喜ばれています。 小千谷市 「一人でやっていたら何日かかるかわからなかった」 ■西吉谷上村では、要望を聞いていると崩した納屋をおじさん1人で片づけている場面にでくわしました。「手伝いますよー」と言ってさっそく9人で片づけをおこないました。ガレキになっている木材を運び、炊かれた火のなかに次々とくべていきました。午前中の2時間で作業はほぼ完了。おじさんは「1人でやっていたら、何日かかるかわからなかった。本当にありがとう」ととても喜んでくれました。 「みなさんの励ましになれば」と小学生が手紙 埼玉の学生らは、山古志村の小学生にあてた埼玉の白子小学校の6年生からの手紙を届けました。一部紹介します。 ■お元気ですか。そちらの小学校ではもう授業がはじまりましたか?地震というのはとても怖いものですね。死者を40人もだすんですから。食料のほうは足りているでしょうか?御風呂はちゃんと入れていますか?満足に寝られていますか?ぼくは山古志村の小学校が普通に授業が始められることを心からおいのりしています。この手紙がみなさんの励ましの手紙になればいいなと思っています。お元気でいてください。(6年1組 中島廣人) ◎21日のボランティア参加者の感想文から ■たった半日だったが色んな人にたくさんお礼を言われた。服やおしるこはとても好評でなんだかやっている自分もすごくうれしくなった。家の片づけの手伝いで多少汚れたが仕事したという感じがあって気分がよかった。(東京・高校生・大森竜太郎) ■少しボランティア活動にも慣れてきたので、スムーズに声をかけられるようになってよかったです。これから寒さが厳しくなると聞いているので、そのために必要な準備をしっかりしてもらえるような物資の提供、被災者の方が自分たちの暮らしを取り戻せるように力になりたいです。(神奈川・フリーター・原孝志) ■1ヶ月経ちながらも想像以上に、傷跡が深いと感じました。日常生活、生産活動にも相当のダメージがあることが実際に見聞きしてわかりました。今日片づけの手伝いをさせてもらったお宅では、田んぼに亀裂が入っただけでなく、道が崩れ、用水路にも隙間ができ、水がもれるという二重三重にも、乗り越えなければならないものがあると感じました。被災者の方から強く言われた「国が本腰をあげてほしい」という言葉…。千葉からも国に対応をもとめる声が必要だと思いました。(千葉・椎葉寿幸) 11/20 ■被災から4週間が経過し、被災地での避難生活者は1万人をわったとも報道されています。町全域に避難勧告にだされていた川口町でも一部をのぞいて避難解除がされ、家に戻られる方もふえています。 しかし小千谷市、川口町では、ガスなどのライフラインがまだ完全には復旧せず、家に戻ってもガレージや車庫生活という方もまだまだいらっしゃいます。被災地は、たびかさなる余震への不安、そして刻々と近づく冬の到来への不安のなかでの生活が強いられています。「将来は検査技師になりたい。大学受験をひかえているのに避難暮らしのなかで勉強できない」「地震で職を失い、家も大きな被害。でも市からは調査すら来ない。立て直すかどうかの見通しもまったくたたない」などさまざまな不安や困難をかかえながら、生活再建にむけて日々すごしています。 こうした被災地に「生きる希望をひろげよう」と青年ボランティアセンターには、現在のべ600人をこえる青年が足を運んでいます。要望聞きや物資配布、片づけ、子供と遊んだり、お花、ケーキを届けるなど、知恵をだしあいボランティア活動をすすめています。 この土日にも、青森、宮城、茨城、埼玉、千葉、東京、神奈川、長野、岐阜、愛知、大阪などのべ約80人の青年がボランティアにかけつけ活動をひろげます。募金や物資、そして現地でのボランティア活動など、引きつづき全国のみなさんのあたたかいご支援を、心からよびかけます。 京都からも5人の仲間が参加し奮闘してくれました! ■2日間という短い時間ではありましたが、ボランティアに参加させていただきました。1日目は川口のほうで、ケーキお届け隊とお宅訪問に参加させてもらいました。一番心に残ったのがケーキお届け隊です。みなさん喜んで下さって、こっちまで心があたたまりました。2日目は物資を届けました。“ありがとう”と何度もいわれました。2日目にいった方も道路がわれ、倉庫はくずれていて被害の大きさをまのあたりにしました。家まで壊れてしまった人はこれから冬を越すのにとても苦労されると思うとつらいです。 2日間をとおして、自分からいろんな人の話を聞いて、自分で考えて行動することが大事なんだなと実感しました。ケーキ届け隊も花キューピット隊もみなさんのアイディアから生まれたもので、とてもすばらしいです。最後になりましたが、ボランティアのみなさん、お体に気をつけてください。お世話になりました。(19日 学生・早川早希さん〔仮名〕) 先週24人参加した群馬の仲間からのメールです ■11/14(日)に新潟へ、民青が中心となり青年ボランティアに参加。 急きょ、日本共産党の援助も受けみんなに声をかけ大勢で行こうと、小型バスを借りて行くことに… 参加を呼びかけはじめると折り込みチラシを見て「行きたい!!」という方や学童保育の方など民青ではない方8人を含む24人で参加. 長岡の青年ボランティアセンターに9時前に着き、受付を済ませ、諸注意を受けた後、子どもと遊ぶ係、引越しの手伝いをする係,被災者の要望を聞く係,被災家屋の解体&あと片付けをする係など、何人かのグループに分かれ夕方まで各地で作業をしてきました。被災地は,電柱は傾き道路にヒビが入り、陥没している所もそこかしこに…。倒壊している家屋もあり地震の凄まじさを目のあたりにしました。 みんなの感想 ☆男の子が「みんなといると安心できる」と言っていた。人と人との交流が大切 ☆いろんな<ゴミ>が燃やされているのを見てその家族の思い出が燃やされている様で悲しかった ☆高校受験を控えた女の子の家に行ったが、その子の家は赤札(立入禁止)になっていて、受験勉強をする場所を確保するのが大変だろうと思った ☆聞き取り調査に行くと「うちは取り壊しになるので(いいです)」とサラッと言われ戸惑った 11月4日〜19日まで参加してくれた 大阪 新田祐子さん ■約半月間、本当にお世話になりました。ここで過ごし、被災者の方々とふれあうことで、本当の支援とは、やはり、直接せっすることで相手の状況、気持ちがわかり、本当に求められていることがわかるのだということを感じました。やはり大切なのは、“対話”ですね。 それから、仲間がいたからこそ頑張れたということ。「困っている人のために何かしたい」という思いで集まったつながりはただそれだけなのに、心をゆるしあい、励ましあってやってこれました。仲間がいると喜びと楽しさは2倍に、悔しさや悲しさは半分に… これからいつまでこのセンターが続くかわかりませんが、雪かきボランティアでまた来たいなあーとひそかに思っています。みんな、どうもありがとう。ここで過ごした日々は大切な宝物です。体にはくれぐれも気をつけて。元気で!!(11月19日) 11/16 被災者と、こころかよいあわせて…みんなでアイデアだしあって、今日も元気に活動してます! 「花キューピット隊」大好評 ■先日、青年ボランティアのマッサージ隊が訪れた宮内コミュニティーセンターでは、避難している方からたくさんの要望をお聞きしました。長岡市内にすんでいるおばあさんから依頼された仕事は、「来春に家が解体されるため、雪が降る前に、娘さんの家に家具を運んでほしい」という内容でした。15日はメンバーも少なくなっていましたが、引越業者なみの仕事を4人でやりとげ、庭をみると見事な花々が…。おばあさんは、庭で育てた花を近所のみなさんに渡すのが大好きだったそうです。「大切に育てられた花をこのままつぶしてしまうのはもったいないから」とたくさんの花をいただきました。みんなで相談し、その花々を、避難生活をおくる方々にプレゼントすることにしました。16日は、朝からみんなで小さな花束をたくさんつくり、避難所になっている宮内コミュニティーセンターと長岡農業高校の体育館を訪れ、お年寄りの方々にお届けしました。避難勧告を受け家に帰りたくても帰れない村の方たちは「お花は大好きで家にいっぱいあるけど持ってこれないし、嬉しい。」「この花、太陽みたい。」「きれいねえー。」と和やかな表情で喜んで下さいました。避難所の受付にもプレゼント。やはり花を受け取ると、みなさん顔がほころびます。 ■チーム川口は、保育園で子どもと交流したり、夕方までかけて、西川口の7つの避難所に花束を届けました。 大切に育てた花を人にあげたいと思うおばあさんの思いと、避難生活で疲れがたまっている被災者のみなさんの心をつなげることができ、私たちにとっても嬉しい取り組みでした。17日にも引きつづき、花を届けています 「ケーキお届け隊」発足! ■本日から、「ケーキお届け隊」のビラを長岡、川口などの避難所に張り出しました。早速NHKから、「どんな活動をしているんですか?」と問い合わせがありました!もしかしたら、青年ボランティアセンターがテレビに登場するかもしれませんね? 11/15 青年ボランティアに土日で約100人!のべ参加は500人こえる! 「前向きにがんばる被災者に、こっちが励まされる」 青年ボランティアセンターを開設して約2週間がたちました。この間、日本全国からボランティアに参加したのべ人数は500人をこえています。土曜日は40人、日曜日は56人が参加し、要望アンケートを片手に被災された方を訪ねたり、家の片づけや、物資を届ける、などの活動を引きつづきおこないました。 ■小千谷では、土日で8軒の片づけをおこないました。西吉谷では、まだ電気が復旧しておらず、薄暗い中での家具や食器の掃除をしたり、壊れたガラスやガレキの分別作業などをおこないました。「ひとりでは、とても片付けられないと思っていたけど、みなさんがきてくれて展望が見えた」とお礼を言われました。参加した1人は「想像以上に被害があって驚いた。メディアでは『ボランティアは足りている』と言われることもあるけど、まだまだ人手が足りないと思いました」と感想を話しています。長野から参加した、かえさんは、針灸・マッサージの専門家。土曜日の午後から長岡市内の避難所をまわると次々に希望者があつまり、30人の方に針灸・マッサージをしました。夜にはマッサージ講習会をおこない、日曜には7人で避難所をまわりました。「ずっと頭が痛かったけど、おかげでよくなった」「1週間に1回来てもらえれば…」など評判も良く、家の片づけなどの要望もたくさん寄せられました。行動した吉倉さん(福井)は「肩もみくらいしかできなかったけど、お話するだけでも、おばあchanが喜んでくれて良かった。来るのを親に反対されたけど、来て良かった」と感想を話しています。チーム西川口は、上川保育園で出張バザー。「避難所のダンボールで受験勉強している」「15分だった通学時間が、代行バスで往復2時間以上に」などの声も聞きました。西川口保育園では、先日石川の小学校から子どもたちにはげましの手紙が届いたので、先生や父母とも相談し、お礼の絵を描いたり、誕生日を迎えた中学生に手作りケーキのプレゼントも。連日地域にはいるなかで、地元の人との信頼関係も深まっています。 学校では学べない体験できた1週間 〜阪神大震災から成長した自分も確かめられた ――兵庫・高校生 ■僕が今回のボランティアに参加した理由は、僕には人生を通しての目標があるからです。その目標は“世の中で、病気で苦しんでいる人、障害で苦しんでいる人、災害で苦しんでいる人…そんな人たちを助け、支えることが出来る人間になりたい”ということです。そのために、大学で医療福祉を学ぶことにきめ、合格することが出来ました。 10年前の阪神大震災を、自分は神戸で被災しました。水もガスも止まり、学校にも行けずに近くの避難所で過ごす日々が続きました。幸い、自宅はヒビ割れ程度ですみましたが、当時小2だった僕は、“あぶないから”と、家の片付けすら手伝うことが出来ませんでした。 あれから10年、僕は、同じ大地震がおきたこの新潟で自分が役に立てることが何かあるんじゃないか? 10年で成長した自分を確かめたい、そう思って、家族や学校とも相談し、学校を休んでボランティアに参加することを決意しました。 新潟にきて目にしたのは、ヒビ割れた道路に、全壊した家々と、すさまじい光景でした。当時の神戸の状況を思いうかべながら、小千谷での片づけ隊や川口での避難所の手伝いをさせてもらいました。川口の避難所の子どもたちは、こんな恐ろしいことを体験したにもかかわらず、明るい笑顔で「お兄ちゃん、あそぼ!」と言ってくれました。この子どもたちに、地震をのりこえ、強く明るく生きていってほしい、と願いました。 ボランティアは、無償で働く、とてもしんどいことかもしれません。しかし、活動を通じて経験したことは、ふだんの生活や学校に行くことでは、絶対に経験できないことでした。人を助ける、人をささえる、ということは、そういう経験の積み重ねで生まれると思います。この経験を、これからの人生にいかしていきたいと思います。 11/13 人のために、一生懸命になることのすばらしさを感じて ――稲葉綾さん(23) 8日〜12日までの5日間、青年ボランティアセンターで活動した稲葉綾さんの手記を紹介します。 ■夜中の4時“どーん”という音と共に家がグラグラと大きく揺れました。窓がミシミシと軋んでいます。私はふとんに潜り込み、小さくなって揺れがおさまるのを待ちました…。 長岡に来た最初の晩の出来事です。その夜は8回もの余震があり、怖くて眠れませんでした。被災した方々の恐怖を身に染みて感じ、(家に帰りたい、家族と和やかに食事をして、温かいベッドで眠りたい)と強く願いました。でも、私には帰る家があります。帰る家もない被災者の気持ちを思うと涙が出そうになりました。やっぱり帰るわけにはいかない、私に出来ることをしっかりやろうと決意して朝を迎えました。 物資の仕分けや配達、倒壊した家屋の片づけなど、さまざまな体験をしましたが、とくに心に残っているのは、小千谷市のIさんのお宅の片づけを手伝ったときのことです。家は傾き、なかは家具が散乱し、土壁が上から崩れていました。私たちは、家具を運び出して、室内を掃除し、余震で家具が倒れないように横にしておきました。きれいになった部屋をみて、おじいさんもおばあさんもとても喜んで「家には思い出もあるし、離れたくないけんども、もう土台もずれて傾いてんで、いつ余震で崩れっか、おっかなくてなぁ」と話して下さいました。土台から60pもずれて傾いた家は、私たち素人ではどうしようもなく、自分の力不足が悔しかったです。 被災地の援助には、ボランティアにしかできないことも、たくさんありますが、行政にしかできないこともあります。幅広い資金援助や多岐に渡る専門家の養成、派遣など、細やかな援助を行政が組織してくれたらと感じました。 それでもできるだけのことはしたくて、崩れた蔵の壁を片づけたり、お堂の掃除などをしました。作業はたいへんでしたがIさんのうれしそうな顔が一番の励みになりました。誰かの喜ぶ顔を見て自分もうれしくなれるなんてとても幸せなことだと思います。 今回のボランティアをとおして、純粋にほかのだれかのために、一生懸命になることのすばらしさを知ることができた私は、本当に幸せ者です。ボランティアセンターには、今日もたくさんのボランティアがやってきます。一人でも多くの人に、そんな気持ちを味わってほしいと願っています。 「明日はうちもお願い」と次々依頼が ――小千谷・片付け隊 ■12日は、昨日から引きつづき小千谷市吉谷の小川さん宅のガレキ処理を8人でおこないました。 太い梁や柱などで2.5mに積み上げられたガレキを運びだし、木材や燃えないゴミに分類し、処分していきました。最初はとても終わらないと思っていた作業でしたが、みんなで力をあわせてすすめていき、夕方にはきれいに片づけが完了。近所の人も見学に来ていて、別の小川さんから「じゃあ明日は、うちをお願い」といわれ、トタンの屋根の処理、たたみを出すなどの作業をすることになりました。 「励まし手紙のお礼を書こう」――チーム川口の奮戦記3 ■12日は、上川保育園で出張プチバザーをおこないながら、ようすを聞きました。学校がはじまったという中学生と対話。いまは、午前中だけだけど、月曜日から6限目まで授業をすること、3年生は、受験が不安だけれどもいまのところ何の情報もな不安がっていました。 西川口保育園では、子どもたちにお菓子やおもちゃをプレゼント。石川県の小学6年生から学校あてにきた応援の手紙への返事をみんなで書こうと約束しました。 11/11 〜命の尊さを感じた8日間〜笑顔にふれたボランティア活動はぼくの誇りに 青年片づけ隊のリーダーとして活躍した藤野剛一(よしかず)さんが、昨日で、ボランティア活動をおえました。藤野さんがボランティア活動を通して感じたことなどをまとめた手記を紹介します。 ■ボランティアに来るきっかけとなったのは、先月の30日に岩手にいるお父さんからの電話でした。もし、時間があれば新潟にボランティアに行ってみないか?という内容でした。ぼくは今までボランティア活動などの経験がなく、正直不安でした。たいした知識もなく、自分には何ができるのか?…それでもぼくは、こんな自分でも何かできるかもしれない、たとえ一人でも喜んでくれる人がいるならと思い、お父さんに、「絶対に行く」と返事をしました。 ボランティアセンターについたのは、今月4日の夜、東京の池袋から一人で高速バスに乗って来ました。ボランティアセンターに来て最初に思ったことは、ボランティアに来ている人の多さでした。夜10時にも関わらず、老若男女、たくさんの人が、その日の反省、そして明日のボランティア活動の相談をしていました。 次の日、ぼくは、片づけ隊として参加しました。小千谷市に向かう途中にTVで見たことがある道路のひび割れ、家屋の倒壊、土砂崩れ…その光景を生まれて初めて目の当たりにしました。ぼくには今まで、このような甚大な被害の経験がなかったので、正直言葉を失いました。 現地についたぼくは、そこでも言葉を失いました。家の一階の部分がつぶれており、窓ガラスは割れ、風呂場は外に飛び出している状態でした。とりあえず、家の修理が住むまでテントで住むということなので、メンバーでテントをはりました。この日、一緒に片づけ隊として来ているメンバーは、ほとんどの人がテントをつくったことがなかったのですが、それでも何とか力をあわせてテントを張りました。時間はかかり、不器用ながらにできたテントを前に、おばあさんが「ありがとう、本当にありがとう」と何度も感謝している姿を見ているとき、ぼくは、「あぁ、やっぱりボランティアに来て本当によかった。この笑顔を見ることができただけでもいい経験になった」と感じました。 6日から、ぼくは片づけ隊のリーダーとして、活動する事になりました。本当はかなり不安でした。倉庫の片づけに行った時に、突然地震がありました。偶然にも僕たちは休憩中で、何とか倉庫の方も崩れたりはしませんでしたが、もしあのとき、僕たちが作業していて、さらに地震がもっと強かったら、そう考えると、ちょっと怖くなりました。被災した人がなかなか家に入れないという気持ちがわかったような少しわかったような気がします。片づけ隊といえど、すべて片づけることができるわけではありません。専門の人がいなければどうしようもないこともあります。僕たちはその中で、何ができるのかを日々考えています。 倒れた家具を元にもどしても、また余震などで倒れてしまう。それなら、いっその事倒したままのほうがいいんじゃないかと言っている人もいました。その言葉を聞いたとき、ぼくはとても悲しい気持ちになりました。「片づける」ということは簡単なようで、とても難しい、片づけてその時笑顔があったとしても、本当の不安はまだ消えない…。 片づけ隊…それはもしかして、本当は、心の不安を片づけていくのではないのだろうか。一瞬の笑顔だとしても、それが少しづつでも、たくさんの人が笑顔になるようにしたい。片づけるということはそういうことだと今は感じています。 ぼくは、今日をもって東京に帰ります。このボランティア活動に参加したことを本当に誇りに思っています。人の優しさ、温かさにふれたこと、何より命の尊さを感じた8日間でした。 11/10 子どもたちの笑顔が取りもどせる町に〜のべ380人が青年ボランティアで活動!〜 ■青年ボランティアセンターの活動は、本日で14日目を迎えます。これまでに、のべ約380人が被災地で、生きる希望をひろげるボランティア活動をくりひろげています。 被災地は、いまだに余震が続き、地域によっては、ライフラインもほとんど復旧していないなか、引きつづき物資の支給をはじめ、家の片付けや、車庫、倉庫の片付けなどのボランティア活動がもとめられています。また、長く続く被災生活のなかで、子どもたちの笑顔を取り戻そうと「歌うたい隊」を結成し、小学校などでみんなで歌を歌ったりしています。 くるしさのりこえよう−歌うたい隊大好評! ■11月10日(水)朝7時半、小千谷市吉谷にある吉谷小学校に電話を入れ「こども達を元気づけたいので、ぜひ一緒に歌を歌って交流をしたい」と申し入れました。すると「ぜひお願いしたい」とのお返事をいただきました。学校に着くと、グランドにテントがたくさん設営されている中授業が行われていました。学校側からの話によると「震災後、こども達はあまり大きな声を出さなくなってしまったので、反応があまりないかもしれません」とのことでしたが、ギターに合わせて笑顔で歌う姿を見て少し安心しました。「大きなうた」と「あの青い空のように」の2曲と手遊びを楽しみました。「あの青い空のように」の歌詞のように、“苦しさ のりこえよう”という前向きな気持ちを持ってこれからも長引く不自由な生活を元気に乗り越えてほしいものだと感じます。 最後に家から持ってきた絵本25冊を寄贈しました。こども達の気持ちがちょっとでもほぐれるといいな、と思います。(大阪 新田祐子) 子どもたちに大人気−「チーム川口」の奮戦記2 ■チーム川口のメンバーは、西川口を中心に物資を届けながら、要望を聞き、こたえる活動をとおして、地域の方との信頼関係も深めています。 8日は、この日誕生日という内山さんを訪問。ケーキをもって「おめでとうございます」と話すと「冗談で『祝ってほしい』といったんだけど本当に来てくれたんですか?ありがとう!」と大感激。周りのおばちゃんも、「私も祝ってもらおうかな!」と和んだ雰囲気になりました。 10日には、西川口保育園に、折り鶴や風船を持っていき、子どもたちと和気あいあいと遊んできました。参加したミキさん(仮名)は、「子どもたちもなついてくれてうれしかった。でも倉庫で寝ているという話や、実際をみると辛い気持ちにもなった。ここにいる間は、被災者や子どもしっかり励ましたい」と感想を話しています。 片づけしながら心の交流も ■青年片づけ隊は10日、西吉谷の石坂さん、小川さん宅のかたづけを手伝いました。小川さん宅では、全壊した作業場の片づけ。太い柱が全部倒れ、窓ガラスはこまかく割れて散乱していました。柱や冷蔵庫を運び、われたガラスを集め、きれに片づけるとたいへん喜ばれました。 3日目を迎えた石坂さん宅では、崩れた倉庫の撤去につづき、家の中の片づけも手伝いました。おじいちゃんが、漢詞の額縁など思いでの品がでてくるたびに、「これは、自分で書いたんだよ」と説明してくれるなど、心のかよう交流もできるようになりました。 〜感想より〜 ■長岡市内で物資配布に奮闘 今日1日で、本当に来て良かったと思いました。私たちが来ることをとても喜んでくれるし、炊き出しなどできない人もいるので果物がととても喜ばれました。 お年寄りの方は、こんな状況でもご飯が食べられるだけありがたいと言っていてすごいなあと、もっと欲言っていいんですよと声をかけました。 子ども達は、震度5の余震におびえています。精神的なケアーももっと必要だなと思いました。(東京・植野和美さん) ■チーム川口として子ども達と交流 1件づつ要望を聞いて回ったとき、新潟の地域ごとの結びつきを実感した。子どもが昔のようにお互いの家を自由に行き来して、大人たちも子どもの名前を知っていたり、見守っている感じが伝わってきました。とても温かい気持ちでその光景を見ていると、やっぱり仮設住宅などの対応によって、この地域コミュニティーを壊すわけにはいかないと思った。(千葉・ミキさん〈仮名〉) ■青年片づけ隊でがんばった ボランティアというのが、こんなに人に喜ばれるのかと、今日初めて実感しました。作業は肉体的に大変だったけどやりがいのある作業でした。(山口・秋山望くん) 11/7 片付け、物資、行政への要望…被災者の願いに真剣にこたえたい ■7日(日)は、地元新潟から15人が参加したほか、全国から約50人が被災地につどい、物資配達、要望聞き取りなどの活動をくりひろげました。この日は、民青同盟の姫井中央委員長もボランティアに参加し、小千谷市と川口町に全国から寄せられた募金を届け激励をしました。 ボランティアで聞いた声と義援金を届けに行政に! ■新潟からのメンバーは、姫井中央委員長とともに、小千谷市で青空フリーマーケットや物資の配達をおこないました。 「懐中電灯用の乾電池があればなあ」と話していた小千谷市吉谷水口の佐藤さんのところに、さっそく乾電池を届けにいくと「どうもありがとう。せっかくだからもっとわがままいっていいですか」といい、集まっていた人から次々と要望がだされました。「割り箸がほしい」「後片付けを手伝って」「ゴミの回収を早くしてほしい」「いつになったら被災状況の認定してくれるのか」「行政からの情報がとどいていない」などさまざまな思いや要望がだされました。 その後、小千谷市と川口町に街頭で集めたり中央委員会に届けられた募金を渡しました。募金を渡しながら、先ほど聞いた被災者の声を紹介すると、市民生活課の担当者は「ゴミの問題は、1週間後から徐々にはじめていくことになる。「被災状況の認定については、9日に県の説明をうけてから、PRしていきたい。こちらもがんばっているので、ご理解願いたい」と話しました。被災者が生活再建をすすめるうえで行政の果たす役割は重大です。青年センターとしても行政へ必要な要望を強めていきたいと思います。 青年片付け隊大活躍 ■この日は、青年センターに連絡のあった2件の片付けもおこないました。 小千谷市桜町では、夫婦と子ども3人のいる家族に依頼されました。大阪、千葉、長野から来た5人で午前9時から片付け開始。足の踏み場もないくらい家具などが倒れ、ガラスはわれ、散乱しているなか、まずは、台所から片付けをはじめました。倒れた棚やちらばった食器などを外にだし、床におちた卵やミカンがくさって、カビが生えており、洗剤でそうじをしました。2階には、ななめに倒れたピアノやタンス。5人がかりでもちあげ、元の場所に戻し、物を整理し、床をはき、ふき…作業は丸一日かかりました。ピカピカになった床を前に、ご家族からとても感謝されました。 ☆片付け隊――大阪・新田さんの報告より ■衝撃的だったのは、柱と床の間に物がはさまっているのです。柱が一度浮いてから、横にゆれたからガラスなどがはさまったそうです。居間の壁は、崩れ落ち、引き戸は枠がゆがんで動かない。お風呂場のタイルは崩れ…。とても住める状態ではありませんが、避難所では、下痢・嘔吐や風邪などの感染症が流行していて、いることができないとのことでした。 これからは、家の片づけをする方がふえ、その手伝いのニーズが多くなると思います。若い夫婦でも途方にくれるくらいですから、お年寄りだけの家はとても無理だと感じます。 それにしても…大人5人がかりで、必死になって持ち上げないと動かないピアノが一瞬にしてうごくなんて。自然の威力はおそろしい…と実感します。 ☆手話とメモでみんなに報告してくれました――新潟から参加した専門学校生(19歳) ■小千谷の避難場所に初めて行ったとき、母子(おやこ)の姿を見て励ましの言葉をかけました。ボランティア活動を紹介する白い紙で私たちの白い紙で民青同盟の活動を、初めて積極的に説明したら、お母さんが笑ってくれました。『ありがとう』といわれて、耳が聞こえなくても思いが伝わり、お礼をいわれてすごくうれしかったです。 ☆私と小千谷市――青年センターで小千谷市を担当してくれた鶴田幸子(23歳)さん ■10月31日〜11月7日まで、1週間ほどボランティアをしました。最初はとまどったけれど、毎日毎日その日の報告をし、いろいろ話し合ったおかげで、小千谷市を知り尽くすことができました。 地震のときの様子を被災者の方に聞くと、話したがる人もいれば、思い出したくないと言う人もいました。ただ私たちボランティアと話している時の顔は真剣でした。だから私たちも真剣に話を聞き、一人ひとりと話をしました。私たちが要望のあった物資を届けると、みんな「ありがとう、ありがとう」といってくれました。「ありがとう」という言葉は、うれしかったけど、心から喜べませんでした。 1週間をとおして、自分たちのできる事は一生懸命やりました。本当はもっと長く居てたくさんの人に出会い、助けたかった。国はボランティアだけにまかせず、国全体でなんとかするべきだと思いました。トイレ1つくらい早くつくれと思いました。おばあちゃんがかわいそう。最後に、みんなと一緒で楽しかったです。 11/6 「何とかしたい」―この思いを胸に、今日も被災地で大奮闘! ■6日、長野や千葉、福島、山形などからかけつけ、この日だけで約40人の青年が、きめ細かい要望にできるだけ応え、被災者に希望をひろげ、励ましました。 安心して家を建て直せるように行政にもはたらきかけて! 〜長岡市桂〜 ■福島と山形から来たメンバーは8人で物資をもって、長岡市内の桂方面へ行きました。80人の避難所がありましたが、昼間は人がおらず、4グループに分かれて一戸一戸訪ねて歩きました。あるおじさんは「今日市役所に行って来た。半壊になるかどうかで、最大で100万円だそうだが、ほとんどの家でもらえないみたいだ。家の見積もりも出してもらったけど、これだけの外壁で350万円、中もあわせると1000万円は見た方がいいといわれた。要望といわれても、何からしたらいいかわからない。とりあえず家直したい」と次から次へとあふれでるように涙目になりながら話してくれました。行政の対応、制度についての意見をいっていく運動をボランティアの人にもしてほしいとも話していました。日本共産党のパンフを渡すと「読んでみるよ」と話してくれました。山形から来た上田さんは「実際に行って、何もできない自分に無力感を感じたりもしましたが、心を聞くということだけでも、ちょっとは違うんじゃないかと思った。『こんな制度が活用できます』のパンフも持って帰る人もいて役に立ったと思う」と話しています。 「あなたは一人ぼっちじゃない」と励まして 〜小千谷市内体育館〜 ■長野から参加したメンバーは、小千谷市内で、要望を聞きました。25歳の女性は、病弱で体育館での生活が長引くなか過呼吸がおさまらず救急車で運ばれたそうです。病院でもなかなか手に負えないといわれ、一時体育館に戻ってきているところでした。メンバーが「長野からボランティアに来ました。地元でも被災地のことをみんな気にしています。あなたは一人じゃない。何かあったらここに連絡して!」と話すと、涙ながらに「ありがとう」と言ってくれました。 「おばあちゃんのふろ入りたい思い」かなえますよ! 〜チーム川口の奮闘〜 ■チーム川口は、本日も川口町内の避難所を回りました。相川内の近くの民家で、「91歳のおばあちゃんをふろにつれていくことができないんです。15日も入っていない。なんとかなりませんかねえ」とおばさんに相談されました。チーム川口は「何とかしてあげたい」と川口のボランティアセンターと相談。ボランティアセンターが送り迎えをしておふろに入れてくれることになりました。おばさんは「ほんとによろしくお願いします。助かります」ととても感謝されました。 やっと本渡せたよ!喜んでもらえた〜 〜小千谷市上方貝〜 ■3日に上方貝で、避難している子供たちから「本がほしい」っていわれていました。なかなか手に入らなかったのですが、本日、昨日富山の人が持ってきた「さくらももこ」の本をもっていきました。また三歳の子供が「車が好き」といっていたので、ミニカーを見つけだしてもっていくと「ありがとう」ととても喜んでくれて、握手もしました。 11/4 一人でも多くの人の話を聞き、一つでも多く物資を届けたい! ■昨日朝、震度5の余震があり、新たに避難支持が出される地域があるなど、まだまだ深刻な状態が続く被災地では、昨日も15人の青年が元気に活動をひろげました。この間、地震の被害のひどい川口町に連日行き、避難されている方の要望聞きや物資を渡すなどの活動にとりくんでいます。川口町での活動をすすめている神奈川の宮応くんから手記を寄せてもらいました。 ■川口町の田麦山に行き、先日、下着を届けたおじいちゃんに会いました。その時は、震災からまだ一度もおふろに入っていなくて下着をかえたいということで、物資を届けたのですが、今日あって話をすると「この前ふろに入ることができた」と笑顔でいってくれました。つい2日前とは表情がいくらか明るくなっていたので、少しは、震災から立ち直ってくれたのかと思い、うれしくなりました。自分たちが渡した物資も役に立っている実感が、わきました。その直後、突然雨が降り出しました。近くにいた自分たちは、その家の外においてあった荷物をいそいでテントまで運び、思わぬところで、汗をかいてしまいました。けれども、それもまた、おじいさんとその家族のために体をはって、協力できたことなので、サイコーに気持ちが良かったです。 その場をあとにした、ぼくらは、その後、小学校の避難所に行き、物資を届けました。帰ろうとしたとき、おばあさんが掲示板を見ていたので、話しかけてみると「地震から四日間、町は何もしてくれなかった。家もこわしたし、本当に悲しい」と涙を流して話していました。その涙をみたときに、僕たちはただうなづくだけしかできませんでした。大きな無力感を感じました。けれど、おばあさんは「今の生活はボランティアのおかげです」とほめてくれました。こういう人たちの力になりたいと強く感じたし、ここにいる間は、一人でも多くの人の話を聞いて、一人でも多くの物資を届けてあげようと決意した日になりました。 全国各地から、次々と青年ボランティアがかけつけています! ■大阪からは、教育関係者のKさんが20日間の有給休暇をとって20日までがんばります。絵本をもってかけつけてくれたNさんは、「現場にいってみてみたい。子供たちと絵本を読んでみたい」と意欲まんまん!福岡からは、Mさんと、Nさんが募金をもってかけつけてくれました。本日は、富山から6人の青年も参加します! 11/3 ■青年ボランティアセンターは、開設してちょうど1週間を迎えます。全国の青年の仲間とともに、地元で被災した同盟員も、みずからの生活の再建をすすめながら、ボランティア活動にも参加しています。2人の同盟員の手記を紹介します。 物資を届けたり、被災同盟員を訪問するなど奮闘している関正芳さん ■地震が起きたときは、「もう終わりか!」と思うくらいショックを受けました。けどそんな非常時のなかでも、自分の安否を気遣ってくれた民青同盟の仲間が一番の支えです。今日のボランティア活動でも“被災地の青年を助けに行こう、一人にしてはいけない”と思い協力してくれた大勢の仲間とともに動いた時間が本当に充実していました。 最初は被災地の人たちも少しとまどっていたけど、回数を重ねるうちにうちとけあい、最後には、「こういう時、ボランティアの力ってほんとうに大切なんだね」とわかってくれた被災地の人たちの言葉に、今回のボランティア活動の意義を喜びも感じています。今回の活動で得たものを、被災のひどい地元に戻ったときに、必ず活かす決意を感じています。全国から支援にかけつけてくれたみなさん、本当にありがとうございます。自分が被災したことなんか忘れるくらいに元気がでました。 家に帰れるようになるまで、一日一日がつらかったけど、そんなとき、ボランティアセンター仲間に会いにいって、みんなが温かく迎えてくれたことは一生の宝になると思います。 ボランティアセンターの炊き出しを手伝っているHさん ■地震のときはご飯をつくっていて、シチューの火加減を見ようと思ったら、ぱたっと揺れた、すぐおさまるかなあと思ったんだけど、だんだん激しくなってきて、たってられなく流しのところに手をついていたら停電したんです。とにかく手探りで火を消して、真後ろに食器棚があって、これは危険と思って台所をでました。母と、兄が2階にいたので、懐中電灯をもって、外にでました。そして近所の人と2時間ぐらい畑にいました。その間もひっきりなしに続く余震がすごかったです。音が「ごーっ」として大地が揺れるっていう感覚でした。 近くの農業高校に避難し、2日間は車のなかに寝泊まりした。寒いし、余震は頻繁だし、怖くて眠れなかった。2日間は眠れませんでした。いつ余震が来るのかという恐怖で、昼間も家の中に入れなくて、外で生活していました。全部外でしていた。 3日目は、電気もとおり、やっと家で生活できるかなあという感じだったんですけど、ガスがでなくて、おふろには1週間入れなかったんですよ。それもつらかった。でも自分が立ち直れたのは、友達とか、職場の人とか、民青の人やボランティアの方と直接あったりして、話をしていくことで気持ちが癒されていきました。 ボランティアセンターができたときは、疲労感もあり、人とあうのもつらかったんです。でも何度か顔をだして知り合いになったり、知っている人にあったりするなかで、気持ちに余裕が出てきて、自分もできることをしようという気持ちになれてきましたね。私たちは、家のこともあり、仕事にもいかないといけません。でもこうやって全国から来てもらっているのは、本当にありがたいです。 11/1 ■平日にもかかわらず、被災地では、青年ボランティア27人が、小千谷市、川口町への物資の配布、家の片づけなどのとりくみをおこないました。(文中は仮名) 川口町内を回っていた三宅くんのところには、「被災された方が下着をほしがっている」と電話がありました。山道をずっと走っていくと、崩れかけていた家の前におじいさんが待っていました。おじいさんは、「風呂にも入れていなくて、せめて下着をかえたかったんだ」と話し、とても喜んでくれました。三宅くんは「これまでは、喜んでもらえて満足だったけど、あの家をみて、本当に胸がいたかった。あの家の被害に比べると、ものを届けるのは小さいことだと思うけど、そういうことが少しでも被災者を励ますことになるんだと実感しました」と。 小千谷市桜町では、物資を渡したおばあちゃんから「家の被害調査がいまだにやられていない。こんな話し本当は行政に聞いてほしいんだけど、町内の議員は避難所ばかりに行って、こちらには足を運んでくれない」と話します。「私たちのセンターを通じて、行政にもきちんと伝わるようにしますよ」と応えると「ありがとう。本当に申し訳ないねえ。若い人が来てくれただけでもうれしいよ」と感謝されました。ボランティアの堂本さんは「物資と同時に、家などの不安もすごくかかえている。保障をもとめる署名などにもとりくんでいきたいです」と感想を話してくれました。 ボランティアに参加した仲間が各地で募金活動に奮闘! ■土日に被災地を訪れた全国の仲間が、地元に帰って募金活動にさっそくとりくんでいます。 新潟の下越地域の青年は、31日昼に前日のボランティアにも参加した2名をふくむ7人で宣伝活動。「物資がまだ届いていない」「これから雪が心配」など被災地のようすを紹介しながら募金をうったえました。中学生のグループが「がんばってください」とみんなで募金してくれるなど、15000円が集まりました。 山形では、ボランティアに参加した学生の大学で昼休みに募金を訴えました。30分で16301円が集まりました。この大学では、金曜日まで毎日募金活動をおこなうことにしています。 10/31 ■31日は、宮城、山形、福島、東京、神奈川、千葉、岐阜、長野、大阪などから72名が青年ボランティアに参加しました。長岡市、小千谷市、十日町市、川口町で、被災者の要望を聞きながらの救援物資の配達や、被災した家の片づけやがれき処理などの活動をおこないました。 長岡市のセンターでは、早朝、約50人の青年がかけつけました。8台の車に前日に要望としてだされていた物資をつみ、長岡市、小千谷市、川口町で活動をおこないました。 早朝、配布している青年ボランティアセンターのチラシをみたという自治会長さんから、「一人暮らしをしているおばあちゃんが、家の片づけをしたいけど人手がほしいといっています。お願いできますか」と連絡があり、宮城から参加した吉田くんと友達の足立さんがかけつけ、おばあちゃんの家の片づけを手伝いました。家の中には、窓ガラスが散乱して、米びつからも米があふれかえっていました。 片づけを手伝うと、「普段は、一人で本当に寂しかった。若い人が来て手伝ってくれたのは本当にうれしい。また来て下さいね」ととても喜んでくれたそうです。裏のがけがいまにも崩れそうで怖いけど行政に言っても来てくれないと話していたので「市議さんを通じてすぐに対応します」と約束し、帰ってきて日本共産党のボランティアセンターを通じて市議さんに伝えることにしました。手伝いにいった吉田くんは、「今から家の片づけなどが本格的にはじまると思う。青年の力がさらに頼りにされる。宮城からも仲間といっしょにもう一回きたい」と話しています。 山形からきたメンバーは、全壊家屋の家を訪問。庭先で生活していたおばあちゃんは、「要望といわれても何をしたらいいのかわからない」と話します。家が壊れてこれからどうしたらいいのかというおばあちゃんに、最初は言葉を失ってしまいました。そして持ってきた「しんぶん赤旗(10月31日付)」資料を見せながら「全壊している家屋には、不十分だとは思うんですけど、国から最高300万円は災害支援法で保障されているんですよ。ぼくらはもっとこの制度を充実させ、災害で生きる希望を失わない、安心した保障制度にしたいとがんばってもいるんです」と話すと「そんな制度は知らなかった。ありがとう」といわれました。 避難生活が一週間をこえている被災者は、今後の生活への不安もかかえています。当面の救援物資の支援のとりくみとともに、その財政的な裏付けである募金、そして現地で被災者と心をかよわし、親身になって力になるボランティアとあわせて、災害での補償制度の充実させることも緊急にもとめられています。 被災者に心をよせ、希望をひろげる活動にみんなで力をあわせましょう。 10/30 ■新潟中越地震による被災者支援のための青年ボランティア活動が本格的にスタートしました。 10月30日(土)は、現地新潟の青年をはじめ、岐阜、長野、大阪、東京、神奈川などから、約30人が長岡市にあるボランティアセンターにかけつけ、救援ボランティアにとりくみました。また、長野の青年8人は十日町に入り、救援活動をおこないました。 長岡市に入ったメンバーは、この日、5台の車にわかれて、被害のひどかった小千谷市のなかで避難生活を送っている約50世帯を訪問。支援物資も十分に行き届いておらず、避難している方は、さまざまな要望を強めていました。前日までにまわり要望のあった物資を、東京や神奈川から来るメンバーに買ってもってきてもらうなどしてそろえて訪問をしました。 湯たんぽやブルーシート、石油ストーブや炊飯器などの要望に一つひとつ丁寧にこたえ、救援物資にない物資もなんとか手に入れて持っていくと、どこの避難所でも、「頼んだものがこんなにすぐに手に入るなんてうれしい」と喜ばれています。豆炭こたつを届けた避難所では、みんなが拍手で迎えてくれたそうです。 ほかにも、避難されている方からは、「これから雪もふる。崩れかけた家が雪の中でも耐えられるか心配」「仮設住宅は本当にたつの?」「家を建て直すためには、100万、200万単位ではなく、もっと県や国からの補助金をだしてもらわないと」など、住居に関する不安もたくさんだされました。センターでは、こうした要望についても、日本共産党とも相談して、被災者の不安を取り除く具体的な手だてをとっていきたいと話し合っています。 参加した青年は、「思った以上に被災地の状況は深刻。いろんな被災者からのニーズに具体的にこたえていくことが本当に大事。そこに自分たちのがんばりがかかっている」「同じ県内に住んでいるのに、おふろに入れないとか世界が別みたい。本当に早くどうにかしたいし、そのために力になりたい」など感想交流をし、次の日のとりくみを相談して、一日の行動を終えました。 |
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(C)日本民主青年同盟 |
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