試し読み-福島は今(3月21日付)

被災者の思いに応えた復興と 原発ゼロの社会へ 福島は今

地震や津波による未曾有の被害をもたらした東日本大震災から5年。原発事故による複合災害に見舞われた福島では、復興が大きく遅れ、長引く避難生活を強いられています。福島を訪れ、震災当時の状況や5年間の歩み、抱える困難や願いを聞きました。

▲震災から5年は「あっという間だった」と言う三浦さん。「今はできることをやる」と田んぼの前で思いを語る(5日、新地町)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

戻りたくても戻れない
記者が訪れた福島県南相馬市のJR小高駅では4日、昨年まで残されていた震災当時の自転車が撤去され、東京電力福島第1原発の事故による放射能の除染作業が行われていました。小高区は現在、避難指示解除準備区域に指定されており、駅前通りは震災当時のままの倒壊した家屋や商店が残り、その撤去や除染の作業が急ピッチで進められている状況です。

▲除染後の土や枯れ葉を入れた袋を指す渡部市議。仮置き場は県内に1070カ所(4日、南相馬市)

▲除染後の土や枯れ葉を入れた袋を指す渡部市議。仮置き場は県内に1070カ所(4日、南相馬市)

日本政府は昨年、2017年3月までに帰還困難区域以外の指定の解除と18年3月に賠償を打ち切る方針を決めました。小高区も今年の4月に避難指示の解除を予定しています。しかし、十分な医療体制がなく、生活に必要な商業施設も再建していないなど、生活の見通しが持てないことから、南相馬市議会議員の渡部寛一さんは「今の段階では(帰還は)厳しい」と指摘します。
小高区から避難している渡辺静子さん(70)は「マッチ箱みたいで息が詰まる」と仮設住宅での暮らしのストレスを話します。薄い壁で生活音が漏れ、近所付き合いが大変という渡辺さん。夫は一日おきに人工透析の治療が必要なため、「早く小高さ行きたくたって、病院がない」からと帰りたくても帰ることはできません。「ここを壊すなら帰らなくちゃいけないけど、それまで置いてもらうべね」。
避難指示が解除されたら「戻ってくる」と話すのは杉本静さん(79)です。杉本さんは昨年8月から帰還準備のため1カ月に10日程度許可を得て自宅に宿泊をしています。「あっち(仮設)にいるよりも顔色がいい」と杉本さん。しかし、震災前に一緒に暮らしていた孫が避難先で家を購入したといい、「みんなばらばら。(一緒に)暮らす当てはないな」と胸の内を明かします。
渡部市議は、長引く避難生活と放射能への不安で、若い人は避難先で生活を再建し、仮設に残る高齢の避難者が帰還を望む現状があると指摘します。

厳しい生業の再建
避難指示が解除されても農地や森林・道路の除染は進んでおらず、農業従事者の多い小高区では生業の再建は困難です。渡部市議は「田んぼの水路の管理など、地域が成り立たないとコメ作りはできない。上の世代は動けないし、下は帰ってこない中でどこまでやれるのか」と話します。
震災前、小高区で海岸から約2㌔の地域で農業を営んでいた三浦草平さん(29)は、「田んぼや畑、飼っていた鶏、一切合切津波の被害に遭った」と言います。震災当日は凄まじい揺れに見舞われ、隆起した道路を車で避難した三浦さん。原発から避難するため転々とした避難先では人数が多く入れず、遺体安置所が併設された廃校でダンボールを敷き毛布一枚で寝たこともありました。その後両親と妹は東京に避難し、三浦さんと祖父母は千葉に避難しましたが、糖尿病を患っていた祖父を避難先の千葉で亡くします。毎食ごとに投与していた薬が不足したことや、避難生活の大きな負担が原因の「震災関連死」です。
地図_カラー 福島では津波や地震による直接死(1604人)を超え、「震災関連死」が2016人(県調べ2月11日現在)と突出して多く、今も増え続けています。
「事故で住んでいた所を追われて、よそに行って昔のことを忘れるのは釈然としない」という思いで、仮設住宅を転々としながらも福島で再び農業ができる場所を探し回った三浦さん。2012年に相馬市新地町で土地を借り、農業を再開。14年5月にようやく家族で暮らせる家が完成しました。
福島県産のコメは、農地の選別や全袋検査、農地に塩化カリウムを入れセシウムの吸収を抑制するなどして、基準を超える放射性物質が検出されることはありません。しかし、震災前に取引をしていたつながりが切れたり、放射能への不安で福島県産のコメが買いたたかれるなど「ものすごく厳しい」状況にあると三浦さんは言います。三浦さんは「本当はみんなに食べてほしい。産地を隠して売るいわれはないという自負はある」と悔しさをにじませます。「この人なら信頼してもいいと思ってもらえるよう」、ジャガイモの植え付け体験などのとりくみを進め、少しずつ取引先も増えてきました。三浦さんは「地道ではあるけど、福島県の農産物のイメージ回復に一番いいのかな」と話します。(2面につづく)