原爆の恐ろしさ知り 核なき世界へ行動したい 原水爆禁止2016年世界大会・第43回全国高校生平和集会in広島

8月4~6日に開かれた原水爆禁止2016年世界大会in広島には全国から多くの高校生が参加しました。2日目には第43回全国高校生平和集会が開催されました。広島を訪れ、被爆者から原爆の実相を聞いた高校生は核兵器をなくすため自分たちにできることを考えました。(高校生は仮名)

「原爆で亡くなった方の気持ちを背負って、9条を変えたり戦争をしてはいけない」と黙とうを捧げる高校生(6日)

「原爆で亡くなった方の気持ちを背負って、9条を変えたり戦争をしてはいけない」と黙とうを捧げる高校生(6日)

被爆の実相を学ぶ
8月6日、よく晴れた青空の下、広島・平和記念公園で行われた式典では、原爆が投下された8時15分に犠牲者を悼んで1分間の黙とうが捧げられました。71年前の1945年8月6日、アメリカ軍のB29から落とされた一発の原爆により広島ではその年のうちに約14万人もの人々の命が奪われました。爆心地では爆発の瞬間、温度が3~4千度にも達しました。溶けたガラス瓶や黒焦げの弁当箱、止まってしまった時計など、平和記念資料館の展示が爆風や熱線のすさまじさを伝えています。「怖いなと思った」と話すのは初めて広島を訪れた北海道の由紀さん(1年)です。これまで原爆の被害を「遠い昔のことのように思っていた」と言います。「展示を見て、日本にそういう現実があったんだと身近に感じた」
「資料館に展示されている物言わぬ遺品の声なき声を聞きに世界中の人が集うこの場所から核兵器廃絶、真の平和の実現を」―。閉会総会では、松本秀子さん(86)が被爆体験を話しました。爆心地近くの自宅から3㌔離れた女学校で被爆した松本さん。15歳でした。爆風で粉々になったガラスを顔や体に浴び、血を流しながらも自宅に向かい歩きました。熱線で体を焼かれ、髪の毛は逆立ち皮膚が焼けただれ垂れ下がった人、目が3㌢も飛び出した死体。松本さんは「まるで地獄のようでした」と声を震わせます。翌7日、10人家族で暮らしていた材木町は見渡す限り焼け野原と化し、自宅があった場所の近くで家族のものと思われる白骨や焼け焦げた死体を見つけました。「家族6人の命が一瞬で原爆に奪われました」
愛知の洋介さん(3年)は松本さんの話を聞き、「家族が一瞬にして亡くなる。たった1つの爆弾で何万人もの人が亡くなる。恐ろしいと思った。本当に核兵器をなくしてほしい」と話します。

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同じ苦しみ受けてほしくない 嘉屋重順子さんの証言
6面3私は6歳の時に被爆しました。爆心地から1・3㌔の叔父の家に遊びに行き、部屋でレコードを聞いている時にB29の爆音が聞こえてきました。青空に太陽の輝く日で、窓からきらきら光った飛行機を眺めている時に原爆が落とされたのです。
気が付くと私は土の上にいました。畳や板は吹き飛ばされたのです。石垣に挟まれた近所のおばあさんを救い出そうとしましたができませんでした。
爆心地近くで学徒動員され道路を造る作業をしていた女学生の姉は亡くなり、別の姉は背中に大やけどを負い、家族でうじ虫を取っていましたが終戦後間もなく原爆症で亡くなりました。叔父など親戚がたくさん原爆で死にました。
私は顔や手や首に大やけどを負いました。外面の傷は年月とともに治りましたが体に入った放射能に苦しめられました。声が出なくなり立っていることもできないという症状をくり返しました。血圧も高く甲状腺に異常があることが分かり、認定被爆者になりました。
私は私の生きている間に核兵器をなくしたいと思っています。世界のどこでも核兵器を使ってほしくない。私たちと同じ苦しみを二度と受けてほしくない。体が続く限りいろんなところで話をしていきたいと思っています。

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北海道から参加した高校生メンバー(5日)

北海道から参加した高校生メンバー(5日)

被爆者の気持ち感じて
5日、全国高校生平和集会が行われた広島国際学院高等高校の体育館では、うだるような暑さの中、集まった高校生が被爆者の嘉屋重順子さん(77)の話に耳を傾けました。嘉屋重さんは急性の原爆症で亡くなったお姉さんのことを話しました。背中に大やけどを負い、無数にわいたうじ虫を家族で取っていましたが、体の奥に食い込むうじ虫にお姉さんは「痛いからもういい。やめて」と語ったといいます。
埼玉の美香さん(1年)は嘉屋重さんの話を聞いて「すごくショックだった。つらいなと思った」と言います。嘉屋重さんは、お姉さんが「お母ちゃん来て!」と叫び、そばに行くとすでに亡くなっており、「いまだにその時の母を呼んだ声が私の頭に残っています」と話しました。初めて被爆者の話を直接聞いた美香さんは「気持ちがより伝わってくる。自分のことのような気持ちで聞けた。家族が一人欠けても悲しいこと。私なら耐えられない」と話します。
被爆者の話を聞き、周りに伝えていこうと決意した高校生もいます。北海道の奈々子さん(1年)は嘉屋重さんが顔に大やけどを負った様子を語った際に使った「ケロイド」という言葉が分からなかったといいます。資料館で顔が焼けただれた写真を目にした時に「こういうことだったんだ」と奈々子さん。「痛々しくて目をそらしたくなるけど、現実に起きたことだからちゃんと見ないといけない」と話します。
嘉屋重さんはケロイドが治った後も体に残る放射能に苦しめられました。奈々子さんは「原爆は苦しみが続いていく。二度と起こさないということが大事だと思う」と話します。高校の写真部で活動する奈々子さんは資料館などで撮った写真で周りに伝えていきたいと語ります。「被爆者の方が悲惨な思いは二度とさせたくないと言っていた。その思いを受け止めて伝えていきたい」

(7面につづく、つづきはご購読でお楽しみください))